寝付かれず
実は午前7時に起きることになっているのだが、これを書いている現在時刻はすでに午前4時41分。ところが床に就いても一向に入眠の兆候を感じられないので開き直ってブログ更新を思い立つ。
『透明な迷宮』を読み終えた。相変わらずの博学ぶりに舌を巻くとともに、表現の優雅さにいちいちひき込まれる。学校附属の書店では新潮から出版されている分しか見当たらず、例えば『ドーン』や『マチネの終わりに』なども読んでみたいと思っているのだが、かくなる上はAmazonで注文するなりブックファーストに行くなりしなくてはならないか。
ゼミの連絡がようやくきた。そろそろ来期の予定を組まなければならない。ひとまず明日、明後日は和歌山へ自転車を漕ぎに行く。春の陽気を全身で感じ、新学期からも心をオープンにして明るく保っていきたい。ぼくはもっと人と交わる必要がある。
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TOEICの点数がかえってきた。焼き肉をかけて勝負していたが、ぎりぎり引き分けの点数だった。終了の間際、最後の10問の解答欄(1)の位置に合わせて縦線を太くビーッと引いていたらと悔やまれる。受験前は時間切れになりそうならそうするつもりだったのだが、やはりどこかで「そんなことをするまでもなくこの試験を解ききれるはずだ」という思い込みをすてきれないでいたに違いない。そうでなければ時計の針が終了1分前をさし示しているのをはっきり確認しながら、なおむなしく解答を続けようとしたりはしなかったはずである。
後期の成績の話はしないでくださいといった感じ。30分くらいの間会話の随所に「あーーもーー」などのやかましい感嘆詞が差し挟まれることになる。後期(のみならずこれまでの3年間)の過ごし方が学ぶ者としてほめられたものでないことは理解していたつもりだが、やはりそれを2桁(ないし1桁)の数字によって象徴されてしまうと疲れてしまうものがある。こういうことがあるたびに自らの進路について悩み直さずにはいられない。このまま院に進むのか、もっと別の研究科がよいのではないか、しかしいまさらどこへ、いっそ就職でもしたほうがよいのではないか、それならばわりと乗り遅れているのではないか……。
無我、無心、虚心坦懐、主客未分、自他の別なし、そういう状態を保って取り組める段階に早く到達したい。
心に支えがいる。他に心をあずけられるような支え。いっそ、ぼくは個人ではなく、大きな何かの一部としてそれと分かちがたい形で存在したい。
でも、へーきへーき、フレンズによって得意なことちがうから。
抹茶をのむ
コーヒー用の牛乳が切れていたので買いに行った。帰ってくると袋の中からなぜか抹茶とヴァッフェルも出てきた。ある時期、おばあちゃんが買ってきてくれた抹茶を、味もわからないのにひたすらただ癖になったように点て倒していたことがあった。あれは30gの缶で1300円ほどするもので、今度自分が買ってきたのは700円ほど。比較的上等のものをさりと意識せずがぶ呑みしていたという事実がいよいよ明らかになって、慄然とする。
普段コーヒーは1回にマグカップ1杯喫むので、抹茶の茶碗に少しというのがどうも物足りない。ぼくは欲張り。
やはり抹茶は苦い。普段コーヒーに砂糖とミルクを入れる習慣はあるものの、ブラックで飲むのも嫌いではない。多分コーヒーを楽しめる味覚はできている。抹茶はまだわからない。昔、茶は万能薬として服用されたといい、また良薬は口に苦しともいう。そう考えると、ぼくはまだ抹茶を「服」んでいると記すのが適当かも知れない。これから時間を味方につけて量と回数を飲んでいく必要がある。いずれ嗜好品として、タバコを喫むように喫めるようになりたい。タバコ吸わんけど*1。
*1:居酒屋などで興味本位で人にもらっていたらくせになりかけたのでもう控えている。タバコは今後流行る見込みがないので、いまさら沼にハマると後が苦しいに違いない……
知らぬ間に
ここ1週間ほど東京へ行ったり観光案内したりと忙しかったが、ようやく1日家に引きこもって気ままに本を開いたり携帯を触ったりする日が作れた。
観光案内に際して久しぶりに会った友人(留学生*1 )が、知らぬ間に彼氏を作って1年半ほど同棲してけんか別れするところまでやっていて驚いた*2。友人が「卒業」を知ったときに感じる、祝福とやるせなさとがまざったあの癖になりそうな甘酸っぱい感情がよみがえった。
破綻の原因は、「同棲生活に求めるものの不一致」だったようだ。彼の方は、彼女とあらゆる生活の場面を共有したくて、例えば一緒に料理したがったり、買い物したがったりしたが、彼女の方はなるべく自由気ままに過ごしたい性質で、常に彼の存在を意識せねばならない暮らし方を嫌った。特に、外で友達と遊んでいるときにラインでついでの用事を頼む*3などといった、せっかくの自由時間に水を差すような彼の何気ない行動が癪に障ったという。
少し意外だったのが、性生活においてはむしろ彼女の方がやる気まんまんで、もっぱら「疲れてるから」と断られる側だったということ。彼は一緒にゆったりとたわいない時間を愛し、彼女はメリハリをつけてその場その場に集中して楽しむことを重んずるゆえであろうか*4。
あるとき、彼がビザの申請手続きの関係で1か月ほど帰国していたことがあった。その間彼女はひとりの時間を享受したわけだが、そのときにはじめてこれまでいかに抑圧的な環境におかれていたか、独り身がいかに気楽であるかを思い知り、別れを決意した。彼が日本に戻ってきてから彼女はひたすら冷淡な態度をとり続け、ついに「僕たちの関係をなんだと思ってるの」「赤の他人でしょ」というやりとりに結びつけることに成功した。はっきりと振られて落ちこむ彼を前に内心大喜びで、唇を一文字に保つのに苦労を要したという。人のかなしい顔を見ながら笑っていられないぼくにしてみるといかにも酷な話だが、この自分の感覚に基づいて決断し実行する力には見習うべき点もある。
何はともあれ、同棲してみたい、してみたくない?
ちなみに彼女はいま後輩の童貞の男の子と友達以上恋人未満の状態を楽しんでいるらしく、ライン通話でその彼をからかっている様子を見せられた。目も当てられないデレっぷりでアホっぽくてそれこそ失笑ものだったが、人はだいたい誰でも惚れ込んだ相手にはそういう風になってしまうものなのだろう。人目はばからず乳繰り合う*5鴨川の等間隔カップルを呪いたい気持ちもわかるが、いつか自分に春がきたときそれにがんじがらめにされて苦しむことになるので、呪文はメラくらいの軽いものにしておいたほうがよい。ドラクエやったことないけど。
*1:先週卒業したので、厳密には元がつく
*2:いまから思えば異性の先輩とふたりで「ルームシェア」していたことから予想できたはずだが、恋愛より遊びを優先しそうな彼女の性分と、出身国の相違から、そういう恋愛抜きにして部屋を共有する文化もあるのかなと思っていた。そういうのも実際には存在するだろうが、自分の交遊範囲においそれと入ってくるほど一般的ではないような気がする。自分はいびきがうるさいとよく言われるので、多分むり
*3:これについては部屋から繁華街までのアクセスが不便であったこともあり、彼女自身も半分同情的だった
*4:もしそうなら、ぼくは彼女寄りの感性を持っていると思う
*5:この表現いい具合に下品な響きがあって見聞きするとゾクゾクする。なかなかおおっぴらには使えないが
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安い方のバイトを5時間やった。東京行きで貯蓄の大部分が消滅する予定なので、この5時間も実質マイナスの補填以上の経済的意味をもたない。17時に帰ってから1時間ほど昼寝するつもりが、世にいわゆる春眠効果によって、目が覚めたら21時を回っていた。
そろそろ魚釣りをはじめてもよい頃かも知れない。今シーズンこそでかいブラックバスをたべるぞ。
気まぐれにメールを発掘した。今度は送信済みメールの方を重点的に見た。句点病の感染源がわかった。
M
明日
10日やね。
どうするの?
ぼく
S?*1
違うよ。
忘れたのならもういいよ。
この話なかったことにして。
それについては言ってるとおり
Mちゃんが来てもいいなと思うなら来て
別に行ってもいいよ。
そっか
じゃあ一緒にいこう
なんで句点つけてるの?
句点つけるのおかしい?
普通日本語でも英語でも文章に句点あるでしょ?
いや、おかしくない
あなたの言うとおり
おそらく10日に何か小さい約束なり記念日なりがあったらしいが、その内容をぼくが思い出せなかったことで機嫌を損ねてしまい、あたふたしている様子。とはいえ、こんなしょうもないことだったんだなあ。この後彼女とは関係のないところで句点病をこじらせたのだろう。要するに単なる個人的な趣味にすぎなかったということがわかった。
メール発掘しているとMとのやりとりよりも、それ以外の人たちとのやりとりを見る方が、ぼくが相当心配をかけていたことを再発見してしまい、心に刺さる。できることなら元気になったいまの状態で会って感謝の気持ちを伝えてみたい。
*1:友人の名前
神社をはしご
北野天満宮や下鴨神社などに詣でた。天満宮の方はなにやら縁日だったようで、春休みの土曜日であることとも相俟って、境内は老若男女国籍の如何を問わず人であふれかえっていた。目的は弟のお礼参りだったので、それだけ済ませて屋台は全スルーした。
下鴨神社はもののついでに観光という名目で訪れた。下鴨神社は糺の森という社叢林が残されていて*1、一般の参拝客もその一部を散策することができるようになっているので、とても気に入っている。夏はこの林のおかげで境内が涼気に包まれていて、いっそう神聖な雰囲気が感じられる。帰りに下鴨神社のすぐ近くにある「加茂みたらし茶屋」という店でみたらし団子をテイクアウェイで買った。熱々のものを受け取って、家につくころには冷えているかと思ったが、食べてみるとまだほんのりあたたかかった。たれのほどよい甘さと団子の焼け目の香ばしさがとてもおいしかった。祇園にも有名なみたらし団子の露店「みよしや」があるが、久しぶりにそれも食べて、味くらべしてみたい。
この間買った英語史の教科書をひととおり読み終わって*2、また余計な本を買ってしまった。今回は『善の研究』。書名だけは以前より知っていて、ふらり立ち寄った本屋で衝動買いしてしまった。割と堅そうな内容だったが、文体がいい感じにそそるので、最後まで楽しく読める……と思う。
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弟がきた。第1志望に無事合格し、来年度から晴れて高校生となる。ぼく以上に成績度外視の中学生活を送っていた(そのぶんぼくより部活の人間関係を心底エンジョイし、所属欲求の充足にはまったく事欠かなかった)ようなので、これでひと安心。せっかくなので使わなくなった参考書などを譲ろうと思ったが、よく見るとどれもまだ新高1生には早すぎるであろうものばかりだった。
東京より戻ってから体重計にのってみると1kg強増えていた。顔のまわりの肉づきを感じていたので予想はついていたが……。春は自転車と釣りで体を動かしていく。
このブログのタグをもう少しシステマチックに改めようと思っている。すなわち、あまり使っていないタグを廃して、新たに文字数によって分類する方法を考えている。後から自分で見返したときに、比較的がんばって書いたエントリとそうでないのとでわかれていたら便利そうだ。ただ、これを実行する気力と時間がない。