TIL Swedes are generally proficient in English because of the media.

このごろはYouTubeでいろいろな動画を英語でみている。英語の勉強とエンターテインメントを兼ねようというもくろみである。その中で、ゲーム実況者のPewDiePie *1は大変流暢なアメリカ英語を話すのだが、実は生粋のスウェーデン人だというのが意外だった。

 

And this is how he speaks and responds. これはテレビ向きの顔とでもいうべきもので、実際の実況ではもっとひどくやりたい放題である。



調べてみると、スウェーデンは娯楽番組を国外(主にアメリカ)からの輸入にかなり依存しており、さらにスウェーデン語話者の人口を考えると吹き替えはコストパフォーマンスがあまりにも悪いので、「英語の番組に字幕だけつけて流す」というスタイルが主流になる。スウェーデン人は幼少の頃からTVを通じて英語に慣れ親しんでいるので、必然的によく話せるということになる。スウェーデンではイギリス英語を教えられるというが、確かにPewDiePieが話すのはアメリカ英語であるし、彼に限らず大多数がそうであるという。

 

環境のおかげで自動的に英語がよく話せるというのは、英語の習得に時間と労力と費用をかけてきた日本人からしてみれば「努力もせずともバイリンガル」という事実がうらやましく聞こえそうだが、「国民全体が必要に迫られて特定の外国語を習得する」という状況が必ずしもよいことであるとは限らないことには注意しておく必要がある。「英語が苦手な日本人としての苦しみ」を認めつつ、「英語を身につけねばならぬ先方の事情」を思いやれるだけで、国際人レベルは高くなる*2

 

とはいえ、楽しんでふれ続けたものが強みになるということの好例として、頭の片隅に置いておきたい。久しぶりにドラマでも見てみるか。

*1:世界一稼いでいるYouTuberらしい

*2:国際人が何のことかわかってへんけどや

来週あたりからはじまるはず(だがまだ連絡も来ず宙ぶらりん状態)のゼミの本を試み程度に読んでいた。解説が丁寧で初学者にやさしい入門書といった感じで、ひとりで取り組んでも楽しいかもしれない。発表はあまりしたくない……。

 

やっていきましょうということでやっていった*1

リーの恋愛タイプ測定テスト:LETS-2 恋愛診断

 

なるほど。

 

LudasとAgapeの比率に人間への疲れがあらわれていますね。当初の自分はAgape極振りだったのでしょうが、人間は経験という変数に強く従属する関数なので、変わります。嫌なら定数になってごらんなさい。そして自ら課した規範をもって、おのれの首を絞めるがいい。ただStorgeが大事なのは多分昔からそう。ここは定数。微分したら消えるやつです。ところで、微分して積分しても元にもどるとは限らない、そういう世界もあるということを最近知りました。

 

この手の診断はこっそりやって誰にも見せずにそっと閉じるようにしているが、今回は公開してみた。春ですから。ぼくは何も特別な存在ではないので、本来恥ずかしがることは何もないのです。みんなと同じです。原子核の周囲にまとわりつく1個の電子です。同じです。恥部はどんどん露出していきましょう。それがみんなの勇気になるのです。

*1:実はつい最近1回やっていて、そのときの結果とは違う。前回は「少しちがう」とか「少し当てはまる」などの中途半端な回答が多かったので、今回はなるべくきっぱり回答した次第

白浜旅行

南紀白浜へ、友人の青春18切符を使い切る旅行に出た。朝8時過ぎに集合し、車内ボックス席で口を開けつつ寝て、着いたのが13時半。長距離移動の精神的な疲れは、値段の割に質の高いホステルと白良浜の澄んだ海水が直ちに吸い取ってくれた。

 

初日のハイライトは三段壁。煽情的な表現をするならば、日本のグランドキャニオンということになる*1。投身自殺も多いようで、近くに慰霊碑や自殺防止の看板が立ててあったが、それでも人の命を取り去る重力ポテンシャルを持ったポイントは無数にあり、またそこへ通ずる石畳の小径も少なからず用意されていた。縁へ近づくのは自己責任ですよという白浜町のメッセージを感じ取った。

 

f:id:der_teufel_ist_los:20170407132053j:image

 

眺めがどれだけの壮観であったか、私の撮影技術では持ち帰ることができない。私の撮る写真はいつだってその場で得た体験を矮小化する。ただ、左上にうつり込んだ人影を縮尺に、もとの体験を想像していただくことなら可能かも知れない。


2日目は海に半分突き出た露天風呂、崎の湯温泉が素晴らしかった。まず建物らしい建物が存在しない。脱衣所は屋根のついたバスの停留所ほど狭く簡素なつくりで、そこを抜けたら後は女風呂との仕切り以外に壁は何もない。ほぼ全方位から丸見えである*2。そのような他者の視線は、はじめこそ意識されたが、20分ほど海を眺めながら湯に浸かっているうちにどうでもよくなった。しばらく湯に浸かったら、横の岩の上に座り春の潮風で火照った体を冷ます。風呂に当たって砕ける波の複雑でやさしい音色が心地よく脳を満たし、脳裏に澱んでいた観念を洗い流す。まぶたを閉じてみると、いよいよ時間そのものを忘れそうになる。なぜこの場を動かねばならないのだろうか。一体何が私を動かすのか。これが母親のうちに眠る胎児の感覚だと言われれば納得しただろう。

 

結局2時間弱を過ごした後、半ば友人に連れ出されるようにして崎の湯を後にした。石鹸、シャンプー、リンスの類は持ち込み禁止だが、精神の洗浄能力においてこの右に出る温泉を私は知らない。

*1:三段壁は崖でグランドキャニオンは峡谷である。崖について何らか語り得るに足る知識のなさがうかがい知れる

*2:実際私たちは数百メートル先にある海に突き出た展望台に訪れる観光客を視認した

寝付かれず

実は午前7時に起きることになっているのだが、これを書いている現在時刻はすでに午前4時41分。ところが床に就いても一向に入眠の兆候を感じられないので開き直ってブログ更新を思い立つ。

 

『透明な迷宮』を読み終えた。相変わらずの博学ぶりに舌を巻くとともに、表現の優雅さにいちいちひき込まれる。学校附属の書店では新潮から出版されている分しか見当たらず、例えば『ドーン』や『マチネの終わりに』なども読んでみたいと思っているのだが、かくなる上はAmazonで注文するなりブックファーストに行くなりしなくてはならないか。

 

ゼミの連絡がようやくきた。そろそろ来期の予定を組まなければならない。ひとまず明日、明後日は和歌山へ自転車を漕ぎに行く。春の陽気を全身で感じ、新学期からも心をオープンにして明るく保っていきたい。ぼくはもっと人と交わる必要がある。

TOEICの点数がかえってきた。焼き肉をかけて勝負していたが、ぎりぎり引き分けの点数だった。終了の間際、最後の10問の解答欄(1)の位置に合わせて縦線を太くビーッと引いていたらと悔やまれる。受験前は時間切れになりそうならそうするつもりだったのだが、やはりどこかで「そんなことをするまでもなくこの試験を解ききれるはずだ」という思い込みをすてきれないでいたに違いない。そうでなければ時計の針が終了1分前をさし示しているのをはっきり確認しながら、なおむなしく解答を続けようとしたりはしなかったはずである。

 

後期の成績の話はしないでくださいといった感じ。30分くらいの間会話の随所に「あーーもーー」などのやかましい感嘆詞が差し挟まれることになる。後期(のみならずこれまでの3年間)の過ごし方が学ぶ者としてほめられたものでないことは理解していたつもりだが、やはりそれを2桁(ないし1桁)の数字によって象徴されてしまうと疲れてしまうものがある。こういうことがあるたびに自らの進路について悩み直さずにはいられない。このまま院に進むのか、もっと別の研究科がよいのではないか、しかしいまさらどこへ、いっそ就職でもしたほうがよいのではないか、それならばわりと乗り遅れているのではないか……。

 

無我、無心、虚心坦懐、主客未分、自他の別なし、そういう状態を保って取り組める段階に早く到達したい。

 

心に支えがいる。他に心をあずけられるような支え。いっそ、ぼくは個人ではなく、大きな何かの一部としてそれと分かちがたい形で存在したい。

 

でも、へーきへーき、フレンズによって得意なことちがうから。

抹茶をのむ

コーヒー用の牛乳が切れていたので買いに行った。帰ってくると袋の中からなぜか抹茶とヴァッフェルも出てきた。ある時期、おばあちゃんが買ってきてくれた抹茶を、味もわからないのにひたすらただ癖になったように点て倒していたことがあった。あれは30gの缶で1300円ほどするもので、今度自分が買ってきたのは700円ほど。比較的上等のものをさりと意識せずがぶ呑みしていたという事実がいよいよ明らかになって、慄然とする。

 

普段コーヒーは1回にマグカップ1杯喫むので、抹茶の茶碗に少しというのがどうも物足りない。ぼくは欲張り。

 

やはり抹茶は苦い。普段コーヒーに砂糖とミルクを入れる習慣はあるものの、ブラックで飲むのも嫌いではない。多分コーヒーを楽しめる味覚はできている。抹茶はまだわからない。昔、茶は万能薬として服用されたといい、また良薬は口に苦しともいう。そう考えると、ぼくはまだ抹茶を「服」んでいると記すのが適当かも知れない。これから時間を味方につけて量と回数を飲んでいく必要がある。いずれ嗜好品として、タバコを喫むように喫めるようになりたい。タバコ吸わんけど*1

*1:居酒屋などで興味本位で人にもらっていたらくせになりかけたのでもう控えている。タバコは今後流行る見込みがないので、いまさら沼にハマると後が苦しいに違いない……

知らぬ間に

ここ1週間ほど東京へ行ったり観光案内したりと忙しかったが、ようやく1日家に引きこもって気ままに本を開いたり携帯を触ったりする日が作れた。

 

観光案内に際して久しぶりに会った友人(留学生*1 )が、知らぬ間に彼氏を作って1年半ほど同棲してけんか別れするところまでやっていて驚いた*2。友人が「卒業」を知ったときに感じる、祝福とやるせなさとがまざったあの癖になりそうな甘酸っぱい感情がよみがえった。

 

破綻の原因は、「同棲生活に求めるものの不一致」だったようだ。彼の方は、彼女とあらゆる生活の場面を共有したくて、例えば一緒に料理したがったり、買い物したがったりしたが、彼女の方はなるべく自由気ままに過ごしたい性質で、常に彼の存在を意識せねばならない暮らし方を嫌った。特に、外で友達と遊んでいるときにラインでついでの用事を頼む*3などといった、せっかくの自由時間に水を差すような彼の何気ない行動が癪に障ったという。

 

少し意外だったのが、性生活においてはむしろ彼女の方がやる気まんまんで、もっぱら「疲れてるから」と断られる側だったということ。彼は一緒にゆったりとたわいない時間を愛し、彼女はメリハリをつけてその場その場に集中して楽しむことを重んずるゆえであろうか*4

 

あるとき、彼がビザの申請手続きの関係で1か月ほど帰国していたことがあった。その間彼女はひとりの時間を享受したわけだが、そのときにはじめてこれまでいかに抑圧的な環境におかれていたか、独り身がいかに気楽であるかを思い知り、別れを決意した。彼が日本に戻ってきてから彼女はひたすら冷淡な態度をとり続け、ついに「僕たちの関係をなんだと思ってるの」「赤の他人でしょ」というやりとりに結びつけることに成功した。はっきりと振られて落ちこむ彼を前に内心大喜びで、唇を一文字に保つのに苦労を要したという。人のかなしい顔を見ながら笑っていられないぼくにしてみるといかにも酷な話だが、この自分の感覚に基づいて決断し実行する力には見習うべき点もある。

 

何はともあれ、同棲してみたい、してみたくない?

 

ちなみに彼女はいま後輩の童貞の男の子と友達以上恋人未満の状態を楽しんでいるらしく、ライン通話でその彼をからかっている様子を見せられた。目も当てられないデレっぷりでアホっぽくてそれこそ失笑ものだったが、人はだいたい誰でも惚れ込んだ相手にはそういう風になってしまうものなのだろう。人目はばからず乳繰り合う*5鴨川の等間隔カップルを呪いたい気持ちもわかるが、いつか自分に春がきたときそれにがんじがらめにされて苦しむことになるので、呪文はメラくらいの軽いものにしておいたほうがよい。ドラクエやったことないけど。

 

*1:先週卒業したので、厳密には元がつく

*2:いまから思えば異性の先輩とふたりで「ルームシェア」していたことから予想できたはずだが、恋愛より遊びを優先しそうな彼女の性分と、出身国の相違から、そういう恋愛抜きにして部屋を共有する文化もあるのかなと思っていた。そういうのも実際には存在するだろうが、自分の交遊範囲においそれと入ってくるほど一般的ではないような気がする。自分はいびきがうるさいとよく言われるので、多分むり

*3:これについては部屋から繁華街までのアクセスが不便であったこともあり、彼女自身も半分同情的だった

*4:もしそうなら、ぼくは彼女寄りの感性を持っていると思う

*5:この表現いい具合に下品な響きがあって見聞きするとゾクゾクする。なかなかおおっぴらには使えないが

続きを読む