生保のおはなしがおもしろかった

父と本質的な対話をした。今日はもうおそいので、エントリのための覚え書きだけメモしておき、また後日キチンとまとめてから投下したい。

 

生保のセールスマンとその弟子(?)であるところの見習いセールスマンとお話をした。趣旨としては、ぼくの知り合いの見習いセールスマンの練習相手というようなことだったが、行ってみるとアクチュアリの話も出たりやらなんやらして、またちょっとしたことでめっちゃほめられたりして、とても楽しく気分よくお話ができた。うれしかった。

 

"Life assurance = 生命保険"というのは訳語として不正確だと思う、いうお話は(真偽のほどはともかく)大変興味深い言い回しだと思った。すなわち、本来は「被保険者やそのの家族の人生(life)にどんな出来事があっても希望通りの生活を続けられるよう保証する(assure)ためのサービス」であり、したがって、ただ「生命(life)の損失に対して支払われるサービス」という誤解を植え付けかねない「生命保険」という訳語は不適切であるということだ。英語こだわりマンとしては、わくわくする話だった。

人ががんばっている話をきくのがすき

先日、サークルのメンバーが主催する「留学生交流会」に参加した。まあ日本に留学しに来ている学生が来て英語かなんかでしゃべるんやろと思って行ってみると、実は「留学生経験者が留学希望者と相談・談笑する会」であったことが判明した。他の参加者・主催者に当たり前のように「留学行ったことあるんですか/考えているんですか」と問われたので、出任せに「いつか英語圏のどこかに」と言ってしまった。カルマ値は少し低下したが、幸いにもみんな自分の海外経験や希望を語りたがっていたので、大抵傾聴していればおもしろい話が聞けた。ひとり北朝鮮情勢に興味があるという噂の参加者*1がいたが、残念ながら席がやや離れていて言葉は交わせなかった。音楽について話してみたかった。会の内容についての勘違いや話したい人と話せなかった心残りはあったが、一般にソーシャライズすることはぼくにとってはリフレッシュになるようで、期待以上に楽しめた。

 

ぼくの隣に座っていた、中国語がんばるマン2回生には中国語をがんばってほしい。彼は1回生のころ、何の中国語の素養もない状態で、中国へ(それも上海や北京といった都市ではなく、南の地方へ)、直前にごく基本的な単語だけ詰め込んで、代理店にも頼らず2週間ほどの旅行に行った。旅路では、案の定、こてんぱんに大変な苦労を強いられた。マクドナルド(中国語: 麥當勞(マイダンラオ))で1回の注文するのに30分もかかったときには、店員さんにかけた迷惑やら、こんなことに苦労をする自分への嫌気やらでくたくたになったという。旅を終えた彼は、これまで「楽単だから」という理由でとっていた2外の韓国語をやめ、中国語に切り替えた。旅で味わった口惜しさが本気で話せるようになりたいと思う熱意の火種になったとでも言えるだろうか。それからいまに至るまで充実感を味わいながら勉強しているという。

 

人ががんばっていること、充実感を持って取り組んでいることの話を聞くのは楽しいし、自分のモチベーションアップにもなる。ぼくがもっとオープンになれていれば、もっと多くの数学科の学生たちにもそういう話を引き出すことができたのかも知れない。……いまさらである。

*1:同志(トンジ)とあだ名されていた

君は共依存の気があるフレンズなんだね!

サークルにひとり、ぼくと雰囲気の似ているメンバーがいる。彼はぼくよりももっと社交的で、ぼくよりもおしゃれで、ぼくよりも恋愛経験が豊富で、自分の欲する恋愛がいかなるものかきちんと把握しているが、言葉の端々から、他のメンバーとの関わり方から、ぼくと同じく他者の人生への興味を強く持っているということがうかがい知れる。ぼくの来し方を話してみると、やはり興味を持って傾聴してくれた。すぐに打ち解け合って、ぼくにとっては彼はいちばん仲のいいメンバーとなっている。


程なくして、彼は"そういうタイプの子"と親密な関係になりつつあるということが発覚した。知り合ってからしばらくして、男性依存癖、拒食症、リストカット、そういうものを丸ごと吐露する彼女のブログを見つけてしまったのだという*1。ぼくは、そうか、もう来たかと思った。彼もまたいつかこういう場面に直面する日が来ることを漠然と予想していた。ぼくは彼の話を聞いて、可能な限りの助言をした。もっとも、彼は以前にも恋愛・交際経験があるという点で、高校時代のぼくよりも経験値において恵まれている。彼は土曜日にデートに行くことになっていると言っていたが、どうだったのだろうか。彼はきっと大丈夫だろう。経験豊富で聡明な彼のことだから、たとえぼくと出会っていなかったとしても。


ぼくは、ぼくの中に誰かを本当に助ける力があるとは信じていない。助かる者は自ら助かるし、助からない者はどのみち自滅する。運命の人とかいう言葉も、(信じている人には申し訳ないが)ぼくにはちょっと耳障りだ。ぼくは高校生のある時期に、たしか『アンネの日記』に触発されて、日記をつけ始めたことがあった*2のだが、いわば「例の彼女」に見つかってから、1984よろしく監視下におかれることになった。日記は定期的に検閲され、継続して書くことを推奨されていた。その日記の見返しのところに、「例の彼女」は油性インクで落書きして、「あなたは運命の人」といったようなことを書いたりRad Wimpsの何やらの歌詞を書き写したりしていたり、真ん中の上の方にピンク色のぎらぎらしたハートマークを描いて、その中にぐりぐりと黒太文字で「」という文字が加えていたのも覚えている。その日記は、おそらく捨ててしまったためにいま手許にはないので、正確なことはわからない。彼女がいまどこで何をしているのか、真の「運命の人」とやらに出会えたのか知らないが、あれだけおのれの不幸を嘆いていても、助かっているとすれば自力で助かっているだろう。

 

この世の掟は、自分の力で生きること。サーバル任せじゃダメよ。

*1:男性依存癖も拒食症もリストカットも、決してそれ自体が直ちに人間性を損なう行為とは思っておらず、したがって、それをもってぼくは当事者を貶めることはしないし、そういう趣旨で書いているわけではない。しかし、人の性質・属性の中には、健全な形で共存するのが困難な組み合わせというものが存在する。それはただ単に互いに相容れない、相性が悪いということではない。むしろ相性のよしあしで言えば「よすぎる」というべきで、それは危険なほど強力に惹かれ合う、爆発的な「化学結合」なのだ

*2:いまつけているものとは独立している

健康診断をした

先日、本でも買おうかと附属書店へ立ち寄ったところ、健康診断を受けないかと声をかけられた。生協系サークルが主催している独自のイベントであるようだ。新学期に学校が公式にやっている健康診断が知らない間に終わっていたので、これは都合がよいと思って受けてみた。肌質評価はうるおい、脂、やわらかすべてにおいてややマイナスになってしまった。まあもともときめの細かい方ではないし、軽度ながらアトピー持ちの乾燥肌なので、これはしかたがないと思っている。手軽な改善法があればよいのだが。体組成は、恐れていたほど体脂肪率が高くなかったのでよろしい。血圧は至適。体内年齢は21歳と、実年齢より若くでた。いたって健康。ところで肝心の本を買う時間はなくなって、本意を果たせず書店を後にすることになった。


本は1984がおもしろい。

 

'Listen. The more men you've had, the more I love you. Do you understand that?'

'Yes, perfectly.'

'I hate purity, I hate goodness! I don't want any virtue to exist anywhare. I want everyone to be corrupt to the bones.'

'Well, I ought to suit you, dear. I'm corrupt to the bones.'

'You like doing this? I don't mean simply me: I mean the thing in itself?'

'I adore it.'

 

 このあたりなどはすっとした。

 

ぼくは連れが東京でだらしなく手当たり次第に関係を持って遊び回るのをときどき妄想してしまう。ぼくにかまわずに。必ずしも寝取られたいわけではない。ぼくがいなくても、いや、現実にぼくがそこにいないからこそ、ぼくは連れの世界に大きな顔をして居座りたくない。ふたりきりの、何が真実で何がうそかが判然としない、ああいう心許ない世界はもうこりた。おそろしい。ぼくはついついその対極を意識してしまう。これは連れ本人にも何度か言ったことがある。連れは、どちらかというとヤンデレみたいなのがであるそうなので、なかなか適合しない。この場合は適合しないほうがよいのかもしれない。仮に思い立って「暇な女子大生2号」などになられでもしたら、あまりぼくが相手してもらえないような気がする。それはそれでさみしい。

 

目下、連れはダンガンロンパなどのゲームにはまってだらしない生活をしているそうなので、ぼくはそれで十分だということにしている。どうか自分の楽しいように、好きなように生きてくれ。

 

体は健康だという結果になった。心の中はわからない。心の闇は、なかなか頑固。水にたらしたインクのように、取り返しがつかない。長い時間をかけて薄めていくよりしかたない。

お前が拒んでるんやで

結局、ぼくの方こそ心を開けきることができんかったというだけのことなんやろな。

 

サークルに入って、あるいは卒業ゼミに参加して、あるいは院試ゼミなるものに顔を出したりして、人間関係の幅がぐっと広がってからしばらく経つ。無目的の集まりではないので、忙しい面もあるが、うまくリラックスして楽しめているのではないかと思う。思ったよりも世の中には懐が深い場所が点在している。そのような環境で過ごしているうちに、自然と「ぼくの方が壁を作ってたんやな」と思えるようになってきた。

 

高校で憂き目を見てから、そこかしこをさまよって、ときにわけのわからん集まりに参加してみたりして、外大に入って、浮き沈みありながらもなんとか友達を作ったりして、それでもやっぱり数学をやってみたいと思って、覚悟を決して予備校行って、失敗の許されない受験をした。やっと入ったと思ったら、今度は授業が難しくて、毎回行くのがしんどくて、長年めちゃくちゃな生活をしていたせいで脳がすっかり衰えてしまったのだと半分本気で思ってみたりして*1、それでもなんとか単位だけは卒業できるように揃えることができた。

 

人生で苦労をしているのはぼくだけではないということを、重々承知しているつもりだった。「なんて不幸なんだ」という態度をぼくはもってはいないはずだし、またもつべきではない、と。それは、まあいわば「悲劇のヒロイン」の世界に心を明け渡した苦い経験に裏付けされた認識だ。むしろ反発心といった方が正確かも知れない。

 

ぼくが他人と積極的に関われなかった理由が数学科の雰囲気にあるというのは部分的には正しいかも知れない。まったく主観的だが、そういう「拒まれている」という印象を持ったのは事実だからだ。だが、その「拒まれている」という感覚をもたらしているのは、数学科そのものよりも、自分の過敏な心性のほうだったのではないか。これまで何のサークルにも入らず、勉強会もごく内輪でしかやらず、教室でもふさぎ込んでいた*2自分にこそ、人と交わる機会をつかまなかった"責任"があるのではないか。

 

実のところ、そういったことは春ごろにはうっすら感づいていた。が、ある程度「受け容れられているな」という実感を持ったいまこそ、「自分のガードが堅すぎた」という判断を下して、これからの付き合いに対してよりオープンでいられるように心がけていくことができる。望みのとぼしいうちに下す判断は、得てして自分の可能性を損ねる方向へはたらいてしまう。安定して望みをもてそうなこのタイミングでこそ、過去3年間の人付き合いを振り返る意味がある。


そう言いつつも、どこかで見限られる不安がないわけではない。いま受容されていても、いつ拒絶されるかもわからない。あるいは、自分がついていけなくなるかもわからない。そうしたときにどこまで気丈でいられるか。

 

安定して望みをもてそうなと言ったが、重大な見落としがあった。まず、院試に受かるか。やばいと思う。

*1:抗うつ剤などの薬を長年服用していたので、そこへ原因を押しつけようと試みた

*2:「そもそも教室に存在していたのか」という異議申し立てもあるが、それは北朝鮮でいうところの無慈悲な懲罰というものだ

「孤独の作業」に風穴を開けてね

今日のサークル活動中にGeorge Orwell1984の話が出てきた。まさにいま読んでいる本を誰かが好意的に触れてくれることはうれしい。競技の準備時間な中での1分ほどの雑談だったが、ぼくが自宅でひとりで没入している世界が、何気ない会話で引き合いに出してもらえることに、ささやかなよろこびがあった。ぼく以外にも同じ本を興味深く読んでる人がいる。そこに、孤独の作業をするわたしと、人と関わるわたしとの接点が生まれる。そのとき、その孤独な作業はもはやわたしだけのものではなく、すでに共有された取り組みである。

 

勉強は孤独であるものだと耳にすることがある。ぼくはあまり注意深い人間ではないので、試験勉強という特殊な目的を持つ勉強によく取り組むためのヒントなのか、もっと広く一般の勉強についてのべき論なのかは知らないが、まあぼくは孤独は大抵の場合、毒にこそなれ、薬にはならないのではないかと思う。大抵の場合というのは、あらゆる人づき合いを棄てて、この分野で成就大成してやろういうほどの悲壮な決意を固める、例えば関口存男のような少数派の非凡なるパーソナリティを持った人たちを除いて、ということだ。自分にとって意味のある人間関係、心の支えになっている人をあえて拒んでまでひとつのことを貫き通す行為は、孤高と称すべきものであって、必ずしも高尚で見習うべき心構えというわけではない。自分が安定して継続できるやりかたを見つけて、それでやっていけば言うことはない。そして多くの場合(?)、その継続可能なやり方は、孤独を突き詰め深めていく道ではなく、孤独な作業に一点の風穴を開けて、外部の清風を与えてやることだったり、「孤独の作業をするわたし」と「人づき合いをするわたし」とを接続してやるといったことだろうと思う。

 

おやすみ。おやすみの時間ちゃうやろという意見もある。

6月は晴れの日が多く、今年は梅雨を忘れてそのまま夏になってくれるのかと思ったが、普通に1月おくれでやってきた。雨の中銀行へ払い込みに行って、かえって一息ついてから、受領証を書類に貼り付け、薄っぺらい学業の軌跡を、ボールペンで黒黒と提出書類に書き込んだ。

 

ふすま1枚隔てた隣の部屋のテレビから、北朝鮮がミサイルを発射したというニュースが聞こえてきて。俄然気になったのでしばらくYouTubeをあさっていた。朝鮮語はわからないが、言葉については朝鮮中央通信やら「わが民族同士」の動画をひたすら翻訳して投稿してくれるチャンネルがあるのでそちらにお任せしている。

 

生きているうちに、いつか北朝鮮へ旅行に行って生のコンサートでもきけないものかと思っていたが、この間ワームビアさんがなくなったと聞いてから、すっかり気がそがれてしまっている。モランボン楽団が日本へ公演しにきてくれればいちばん便利だが、その可能性は低いだろうと思う。中国かロシアでの公演に期待するのがいちばん現実的だろうが、2015年の北京公演のドタキャン騒ぎを踏まえると、さほど見込みがあると言えない。

 

音楽は相変わらず「この地の主人たちは話す」をききたおしている。玄松月版とモランボン版とをプレイリストに入れてリピート再生。ノートに歌詞を書きうつして、歌えるようにもなっっている。カラオケで歌える日が来ることを切望する。