仲介業者との面談

最近家庭教師の仲介業者の代表との面談があった。会ってみると、いかにも物腰の柔らかくやさしげな人だった。派遣に関しての事務的なやりとりは志望者の来歴を含み、そうなれば話は僕の高校時代に及ぶ。

 

 

同じ話を何人にもしてきたつもりだが、いまだに慣れない。未だ成功者たらぬ人間にとって自身の苦労話ほどしづらい話もない。「僕が高校を中退し、いまの大学に入るまでに3年も要したのは、学力がたりなかったからです」と言ってしまえば話は早い。それにも関わらず、できない。年来の失敗の蓄積に裏付けられた劣等感が邪魔をする。

 

ところがよく考えると、誰からもはっきりとそう言われたことがない。みな口をそろえて「大変やったね」とか「それを乗り越えたのだから、君は将来立派になるよ」などという。もちろん面と向かって「お前はバカだからね」といえる方が尋常ならぬ胆力なのだが。つまり、いまのところ僕が停滞期を味わった理由を僕の能力不足に帰した人間は僕自身しかいない。一見、優しい世界。

 

だからこそ孤独なのだろう。自分の敵が自分自身だけであるということと、その敵の存在を認知し戦おうとする味方も自分自身だけであるということにおいて。個人の内なる敵との戦いから、当人を"救済"する術はほとんどない。助かる者は(周りの"援助"を受けこそすれ)結局自ら敵を打ち破り、助からない者はひっそりと死ぬか、自尊心と引き替えに依存対象を手に入れる。僕はかつて助からない者を"救済"*1しようとした他人で、そこで死の淵へ吸い込まれかけたからこそ、なかなか外へ"援助"を求めるのが難しい。

 

 これもきっと過渡期。

 

面談は、いつの間にか代表の身の上話にまで及んだ。彼もやはり苦労人で、学部卒業までに8年かかられたらしい。人生の各ステージで経験した様々なもの(家庭教師から滝行まで)から学んだことをうまく組み合わせて立ち上げられた事業が家庭教師派遣業だったのだという。

 

回り道をして、いろいろ経験して、最終的には事業の代表として活動されている様子は、どうも将来の自分をみているような気がする。僕も振り返ってみれば中学のころは数学なんか嫌いで英語ばっかりやってたのに、高校で好きになって数学ばっかりするようになって、ロンドン行きの短期ホームステイの機会を得たりとか、父が昔使ってたドイツ語の教科書を開いたりとか、ついでに中国語教室なんかにも参加しちゃったりして……。とにかくいろいろと脱線してきた。どちらかというと代表と同じタイプだ。つまり、「数学一直線!!」とか「英語一直線!!」というタイプではない。学校にいるとどうしても理学部は「一直線!!」タイプが多い。こういう多方面のことを触って吸収するタイプの人がどういう風に人生を歩んでいるのか、その一端を垣間見ることができて、僕は安心し、また彼に少しあこがれた。もっとお近づきになれたら、「フレキシブルな人間のフレキシブルな生き方」の先輩(モデル)として参考にさせていただきたい。

 

数年前のハートブレイク自体が残した傷はまだあるし、気にすればまだ痛む。しかし、それよりも将来へ目を向けたときに、不安ではなく希望が見えたという経験は大きかった。「自分も将来こんな感じになるんやろか」などと漠然と考えても、それが苦しくない。以前だったら将来のことを考える気力も理由もなく、ひたすら悲嘆に明け暮れていた。少しでも将来を意識するととても苦しかった。いやだった。

自分もだいぶ前に進んでると感じる。

*1:救済とは我ながら大げさだが、援助との二項対立がある文脈上こう書くより仕方がない