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若者よ、みっともなくあれ

内観

ブログが2つあることを一応公にしてしまった。

公にしたところで誰も気にしていないし、悪く思っているわけでもない。

ただ自分が恥ずかしいだけである。

 

もともとこちらのブログは昔のことに関する少し重たい手記を、あちらのブログは軽いノリで書く日記のようなものを想定していた。

結局こちらではそこそこ長い駄文をいくらか生成しただけで、まとまった文章というものはできていないのだが。

きっとまだその事柄が自分の中で熟していないのだと思う。

考えてみれば、時々発作的に憂鬱な気持ちになったときに、あわてて記事作成ウィンドウを開いて思いつきとひねり出しで文を作ろうとしているのだから、残念だが当然のことかもしれない。

 

ぼくの内面はこうして散らかり放題になっている。

普段いくら落ち着いた様子で気取ろうとも、文章を書こうとするととたんに綻びが見えてくる。

しかし、散らかり放題の内面を持つと自ら認めて過ごす時期も必要なのではないか。

 

いままでいい子ちゃんのまじめくんでいるのが当然という癖がついていた。

外も内もそうであれば問題ないが、内側が散らかって外側との不一致が起これば苦しくなるのは必定で、どちらかにそろえなければ心地よい状態は得られない。

もちろん散らかっている状態は自分にとっては都合がわるいと感じているので、必ず整理する。

その整理に時間をかけることを肯定しよう。

散らかっている状態にもう少し向き合って、何がどう散らかっているのかきちんと見極めよう。

そのためにみっともないところが外から見えてしまうかも知れないが、それは必要な犠牲なのだと強く念じて、我慢する。

みっともないのは必要な犠牲、みっともないのは必要な犠牲、みっともないのは必要な犠牲。

 

所詮たかだか23歳だ。

野獣先輩にも及ばずに、何が成熟だ。