自分が彼女を殺した張本人になるわけにはいかなかった

共依存経験についてのメモ。

 

彼女が自分を利用しているだけなのではないかという疑いも、ある時期から試験的にもったりもした。"自分を顧みない家庭"と"不幸な自分"をだしに自分を都合のよい操り人形にしようとしているのではないかという考えが頭をよぎったこともあった。しかし、自分が彼女(他人)に対して不信感を抱いているという事実と、不信感を抱いている人と接触を保とうとしているという事実は、当時の自分には抱えたまま生きるのには大きすぎる矛盾だった。どちらかの事実を変更なり棄却なりしなくてはならないが、それに際して自分は「人の命がかかっているかもしれないときに手を抜くのは自分の正義に反する」と理由づけて不信感のほうをすてることにした。人の命とは大げさだが、彼女の漏らす度重なる「死にたい」や「消えてしまいたい」を受けて、最悪のケースを「彼女が本当に自らの命を絶ってしまう」というところにおいたのだ。結局、最悪のケースは起こらなかったものの、自分が数年を棒に振ったということになってしまったのだが。

 

彼女との交際にあたっては、未熟だった自分もそれなりの決断や覚悟をしていた。彼女にすべての責任を押しつけることはやはりできない。自分を本当に大切に思ってくれている人たちへの申し訳なさや罪悪感は自分でそそいでいかなければならない。