現状にさして大きな不満はない。ときどき失敗して気分が沈むなどといった"日々の小さな起伏"はあるが、少なくとも人間関係で慢性的に苦しいということはない。自分から伸びているひもは、どれもちょうどよい張力でつりあいを保っている。だからこそ、過去の共依存体験が余計わからなくなる。平凡だが健全で良好な人付き合いの中に、ふと苦しんだ記憶と数年間の後れが思い出される。あの泥沼にはまったばかりに、人にだいぶん後れをとってしまった。せめてその"数年間"に仮初めなりとも意味づけができればよいのだが、焦れば焦るほどうまくいかない。いっそのこと「自分はアホやったんや」ということにしてしまおうかとも思うこともあるし、対外的にはそれでいいと割り切って実行している。それでも落ち着いて考えてみるとやはり納得がいかない。

 

「あの出会いは不幸でした」で僕の"数年間"を売り飛ばすつもりはない。きちんと授業料分の学びは得たい。

 

繰り返しになるが、いまは人間関係で苦しいことはなにもない。心の中も平穏そのものだ。共依存体験への執着は、報われないという不満よりもむしろ知的好奇心や美学への探究(求)心に端を発している。これにきちんと筋の通った説明を与えられれば、誇らしくさえ感じられるのではないかと予感している(それは期待しすぎか)。