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やばいなあ

もう最近知能ががんがん下がってるのではないかと疑いたくなる。思えばPCの周りで不規則・不健康な生活を続け過ぎたかな。年齢のせいもあるんかもしれんけどや、でも23で老化とは言わんやろ。

 

文系から数学が捨てきれなくて理系に移ってきたけど、いざ数学をやってみるとこれがなかなか身につかない。僕の周りではなんやかんやいいもってでも、いろんなことを学んでいく。線型・微積微分方程式・代数・複素関数関数解析・数理統計……ってどれも初等の内容しかまだかじってへんけどさ、全然身についた感じしいひん。しかも複素関数関数解析はぎりぎりの可やしな。

「せめて自分がやろうと思ってる代数だけは」って思って、8割くらいなでた堀田代数をわきにおいて、雪江先生の群論をやってるところなんやけど、それでもなんや身についた感じのせんところもあるし。

取り立てて「ああ、そういうことか」と思ったのは表現G→S_|X|のところだけやね。表現は前に猛スピードで進んでいく授業でふわ~っと通り過ぎていったけど、ここで読んでようやく何してるかがちょっとわかった。あれは作用の対象に予め囚人番号を適当につけといて、群の作用によってその元がどう動くかを番号で見極めるっていう話なんやな。いや、それくらいしかまだわかってないんやけどさ。表現論とかそういうレベルの話ではなくって。

だからといって毎日「うううおおおお」って猛勉強してるかというと全然そんなことない。冒頭の通り、パソコンの周りを飛ぶ羽虫のごとき生活。あかんのはわかってるんやけどな。このあかんと思う感覚からしてかなり鈍っている。

 

しかし考えてみよ、僕がおいてきた文系大学の友達は自学自習・交換留学によってTOEICを960点やったかな、取得している。あいつはがんばってたもんなあ、と言いながら「いや、アイツにできたんやったら、がんばったら僕にもできるはずや」と高をくくっている自分がいる。この「高をくくる自分」が僕をundermineするthe most risky and dangerousなcharacterなのではないか、そんなpredictionあるいはfeelingをhaveする。なんでいきなりルー語やねん。少し焦って読み出した"Justice: What's the Right Thing to Do"(邦題: 『これから「正義」の話をしよう』)はようやく40ページにたどりついたところ。

 

まちがいない、向上心や現状に対する危機感がインターネットライフによって希釈されている。意識の置き場所を間違えている。ブログが、ソーシャルネットワーキングが、ようつべがたのしいんだもん。でもこんなんやってても結局僕が望むところの「人とつながる」ってことにもつながらんのちゃうかな。そらそうや。