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心が遅刻し、体の変化に乗り遅れた模様

胸の悪くなりそうなエントリにつき注意。

 

 

 

第2次性徴以降、家族に裸が見せられなくてつらい。自分の体の変化を家族に隠して*1自分だけで受け止めてきたし、それについては慣れた。でも、自分の彼女が自分の裸を家族に見せられるということが、なぜか心苦しい。体毛、特に陰毛や腋毛が生え、乳房や乳輪が大きくなり、生理がはじまるとき。そういう時期を家族(ひょっとするともっと外側)にしっかり見せ、そして受け止めてもらえたことに嫉妬しているのだろうか。

 

生理といえば、初経を迎えた女子がいる家庭が近所に「赤飯を配って回る」という風習がある。最近ではだいぶ廃れてきているようだが、女子にその風習がかつてあった事実を――こう打ち明けるのも抵抗があるが――うらやましく思ったものだ。自分の体の変化についての情報がひとり歩きして広がってしまう空恐ろしさや恥ずかしさは、必ずしも心地よいことではないだろう。しかし、ひとりで背負っていかなければならないしんどさをずっと抱えていると、もし仮に選べるものだとしたら、苦い面に目をつぶってでも情報をリリースする側になりたい気持ちを捨てきれない。

 

また、男の裸は気持ち悪い、汚らしいという"通念"に長く触れすぎたのも大きい。通念といってもすべての社会にあまねく共通するものではないのは頭ではわかっている。ヘテロの女性やゲイ(もっと広く純"ノンケ"ではない)の男性にはそう思わない人がたくさんいるだろうと考えて差し支えない*2はずだし、純ノンケのヘテロ男性でも男の裸に対する嫌悪感があまりない人だっていると思う。残念ながらそういう人々にあまり出会ったことはないが。だから「うっわ、きったね」が聞こえたら「ほんまや、ハハハ……」と答えるよりほかなかった*3。そういう"通念"は、自分の裸が本質的に備えている汚らしさを確認し、自分ひとりで背負うべき十字架を認識することを要求してきた。

 

でももう疲れた。汚らしいと思うことすら疲れた。ひょっとすると土壌からして違うのかもしれない。ぼくは自分の裸を汚いと思って平気でいられるような磊落さを持ち合わせていなかったのだ。男の価値は体の美醜にとらわれないとうそぶくのも飽きた。だいたい汚らしいと思っているものをどうしてセックスの相手に押しつけられるのだろうか。申し訳ないが、ぼくは「誰にも引き受けてもらえない体を受け止めてあげるやさしい自分」の自己像にえさをやる気にはなれない。逆もしかりで、自信満々でいろとは言わないが、多少の持ち合わせはあってほしい。自分自身を破滅的なイメージでとらえることに夢中なようでは困る。局所的には波があっても全体的にはニュートラルに、できれば肯定的に互いの自然、ありのままを楽しめる関係をぼくは望む。共依存の沼から這い上がってきたばかりで、まだ葛藤を抱えた若者の身の程知らずな願いである。

*1:実際に隠し切れているはずはないのだが、隠そうとする態度は崩していない。崩せない

*2:それでも全員ではない。わかっている

*3:このような発言にいちいち深く傷ついてきたわけではないし、"その場のノリ"と割り切れば、多少の息苦しさはあっても、男子学生らしい楽しいやりとりには違いなかった