塾で体験授業をしてきた

塾で体験授業をしてきた。これで2回目だが、初回よりはしっかり話せたしうまく生徒を巻き込む形で進行できたと信じたい。次があるかどうかは運次第。あってくれ。

 

ぼくはこれまで「塾講師をやっていくには学力よりも生徒に好かれるコミュニケーションスキルの方が大切」というネットで散見される見方になるほどとうなずきながらも心のどこかで反発していたようなところがあった。生徒に好かれるための努力がどうも姑息*1な手段であるような気がしてならなかった。いま思うとそれは「自分はまだまだ人に教えられるほどの知識や経験がないのではないか」という自信のなさの裏返しだったのかも知れない。

 

でも冷静に振り返ってみると、明らかに「自分で解けて」「さまざまな関連事項を適度に交えてすらすら説明できる」と思えるような問題でも、いまいち生徒からの反応がぱっとしない、微妙ということがたくさんあった。「わかる?」と反応を求めると初めて彼らは「うん」とか「はい」と答える。ぼくが目の前で「集団授業」をしているかのような状態だった。2人の意識がうまくつながっていない、ホースが蛇口から半分外れたまま水を一生懸命流しているかのような感覚。

 

意識の接続はもっと"意識的に"やってもよさそうだ。雑談もいいだろう、代表的な潤滑油である。ただ、時間がないこともある。生徒の都合も考えなくてはならない*2。そういうときは熱意ややる気、「あなたをケアしているよ」という意思を態度でしっかりと表示していくことが有効そう。具体的には表情(特に目つき)と話し方と姿勢(posture)に気持ち*3を込める。

 

心がリンクすれば、会話ができる。テレビのごとく一方的に乾いた情報を垂れ流すのではなく、鮮度が高いみずみずしい情報を双方がやりとりするセッションを持てる。

 

学力"よりも"コミュ力、というのが言い過ぎだとしても、心のつながりを欠いたままだとどんなにスマートな解説をしようが生徒の脳に届くまでに情報の生きた部分が腐ってしまう。ぼくは最近ようやくそういったことを感じはじめている*4

*1:「一時しのぎの」という本来の意味で

*2:ただ「生徒の都合」を言い訳にして講師が意識の接続を怠るのはよろしくない

*3:自ら講師の仕事を選んだ人間には多少なりとも真摯な熱意や希望があるはず

*4:まったくの感覚レベルで感じ取っていたかも知れないが、文章化できていなかったためにまもなく記憶からスリップしていった