はーーーーーー、残念だな!!
でも残念な気持ちでも感傷に浸るのあんまり好きやないんよな。
特にかなしいときには。
なんか非生産的な感じするやん。
浸らずに抑えたからといって、劇的に生産性が上がるわけではないんやけどね。
むしろ抑圧にエネルギー使う分かえって効率が下がることの方が多いくらい。
人によっては浸ることでリフレッシュして、次につなげるって人もいるかもしれんね。
でも自分の感情をよそへ託すという習慣がないからね。
もちろん感情と対面しないわけでもないけど、なるべく距離を置こうとする癖があるわな。
その中にどっぷりはまるということはあんまりせんような気がするな。
でもその「感傷に浸らないようにする」というのが実はひとつの自己陶酔といえるんかもしれん。
かなしい気持ちを抑え込むことに慣れてて、強がる自分が好きなんやろな。
知らんけど。
でもたまには文章でもどんな形式でも、展開してやらんとあかんわ。
ときどき表現を与えてやらんと。
ぼくの気持ちXに対して外界からの刺激Gを作用とするとき、準同型ϱ: G → End(X) を考えるというような話になってくる。
それはrepresentationであってexpressionではないという厳しい意見も世の中にはあるんだろうなあ、きっと。
あーあ、そんなこと言うから数学のテストかなんかで表現のことをexpressionって書いたのを思い出した。
顔から火ふきそう。
これ以上の被害を防ぐために今日はもう打ち切って寝ます。