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書く力を身につけるということ

自意識まみれのブログを書くのは気持ち悪いししんどい。常に意識の視線が内側を向いていて、眼精疲労を起こしそうになる。そして生み出された文章がまた気持ち悪い。吐き気がしたから吐いたのに、その吐瀉物がさらなる嘔吐を誘発するかのように。

 

かといって外側に向けて書くのはなんとなく恥ずかしい。誰にでも見えることを書こうとすると、どうしても書き手の分析力や文章力があらわになってしまう。自我の意識を記述する際の「人がなんと言おうが自分はこう思っていて、この思いにはこういう表現がいちばんなんだ」という言い訳が通用しない。

 

でも書きたいよね。特に自分は数学やってるくせに数学できないし、文章書いたり読んだりするのは好きだから、書けるようになりたい。

 

書く能力は鍛えることができるというのも魅力的。鍛えるのって結構楽しくないですか。ロールプレイングで経験値稼ぎをする感覚。自分自身を高めるための作業。

 

現実もゲームもだいたい経験値が一定までたまるとそこでレベル(強さ・熟練度)がごぼっと量子的にあがるようになっているらしい。つまり、経験値に対してレベルが階段状にあがっていく。レベルが上がることではじめて具体的に強さが顕れてくるから、次のレベルに到達するまで残り1だろうが10000だろうが実力は同じということになってしまう。レベルアップに必要な経験値が多く必要になるほど成果を実感しにくくなり、まもなく作業が苦行と化す。

 

それでも経験値が線型性を保って「敵を倒せば倒すほど稼げる」パラメータとして可視化されているならまだいい。現実では経験値が見えない。人が認識しうるのは時間とレベルの関係だけである。時間が経過しても作業をやっていなければ経験値はたまらないし、作業をやっていてもレベルアップまで成長に気づけない。停滞期があたりまえの世界。

 

小中高ではやればやるほど成績が上がる、楽しいという感覚を味わってきた。いまから思えばあれは文科省・先生方によって大変よく整備された「素性のよい」世界だったのだなあと感心する。勉強時間に対して成績が下に凸な曲線を描いて上がってゆくというのだからエキサイティングきわまりない。まあそれが本当かどうなのかはわからないが、少なくとも現実世界でわかるレベルアップの最小単位未満の積み上げでも成果が実感できるように、いわば「経験値を可視化」してあったのは間違いないと思う。

 

大学学部くらいまでの宣言的知識はペーパーテストで測りやすいが、手続き的知識は難しい。できたとしても、多分に限定的/一面的となる。書く力は(宣言的に仕入れ可能なコツやヒントはあるが)、かなり手続き的なものなのだろうと思う。そしてペーパーで測れない以上は、ごぼっとレベルアップするまで下手で苦しい時期が続くだろう。

 

いずれは自分の内部の事柄も外部の話題もうまく表現できるようになりたいと思う。とりあえずは自分で読んで"pathetic"だと思わずに済むというレベルに到達したい。