目上の人はやりづらい

昔から目上の人への苦手意識があって、それが生きづらさの大きな要因になっている。もともと本心や本音へのガードが堅いので、腹を割って話ができるようになるためにはそれなりのイベントが起こるまで待たねばならない。さらに上下関係において、特に「目上の人への失礼」がないようにないように、と振る舞おうとする癖が本心や本音を押し殺してしまう。

 

自分が思うところの「普通」に振る舞っていれば、それは大抵失礼ではないし、仮にある言動が失礼にあたることだったとしても、それは過失なのだから、詫びを入れてそこで修正をきかせればよい。むしろ、よくライフハック系の記事などで指摘されるように、堅くなって言いたいことも言わずに無難にお茶を濁すような人はつまらないと思われて好ましくない。それはそう、わかっている。

 

しかしいくら「××より○○の方がいい」と言われても、それは習慣*1を変更するのには不十分に感じられてしまう。「へー、じゃあそっちにしよ」ですんなり乗り換えられるほど簡単ではない。これまでのやり方から離れるのに違和感なり罪悪感なり感じてしまうのか、あるいは"軽々しさ" "日和見主義"への(反発とまではいかなくても)ひっかかりを感じているのか、いずれにしてもそこまでプラクティカルになりきれない。

 

魅力的な人が現れたからといって、臆面もなくただちにヒョイと乗り換える――これを想像したときに感じる心の痛みや不安と結びつくものがある。

 

 

ぼくに必要なのは「ゆるし(許し・赦し)」だと感じている。何がベターかという情報よりも、自分がとろうとするアクションへの裏付けがほしい。「(そっちへ踏み出して)ええんやで」と背中を押してくれる存在である。

 

友人関係や恋愛関係なら、意識しないうちにいつの間にか、互いをゆるし合うという感覚を共有できそうな人と付き合っている。しかし目上の人との関係(職場など)は、その構造上ほとんど自分にとっての居心地のよさによらずに決まってしまう。

 

当たり前のように自分に自信があって、周りを気にせず、よいと思う方向へぐいぐい我が道を行くタイプに見える人には、ぼくはどうもたじろいでしまう。そこで相手がこちらにアプローチしてくれる人ならばこちらもなんとか対応できる(そして相手の自信に惹かれる)のだが、そのままスルーされてしまうとこちらからはなかなか手が伸ばせなくなってしまうし、たとえ思い切って伸ばしてみてもやはり気づかれないということが多い。そのような挫折を繰り返して自分のなかで相手との間に溝を広げてしまう。*2。 


そうは言っても、目上も目上でその人なりの「目上としての態度」があるのだからこちらのワガママがいつだって通るわけではない。

 

目上の人というのは、やりづらい。

*1:特に対外的な領域に属するもの

*2:そういえば以前に何度か「自信満々に迷路を進む人において行かれて、自分はますます迷路の深みにまるで蟻地獄のごとくはまってしまう」という内容の夢を見た記憶がある