あらゆる取り組みに時間制限を設けることと、そのために大切なこと

とりわけ勉強法の文脈でしばしば語られる*1ことだが、あるタスクに効果的に取り組むためにはきつめの時間制限(Time pressure)を設けてやるという方法が適している。つまりできるまでだらだら粘ったり時間をかけてでも完璧にしようとするなということである。これは脳科学的にも正しい戦略らしく、だらだらやっていては脳は"現状維持"を決め込むのだが、時間制限という負荷をかけてやることで「このままではあかん」と"変化"を引き起こすのだという。

 

ぼくの経験上も「友達と遊ぶことになっている」という動機が時間制限(○時に集合だから、それまでになるべくなんとかする)を設けることにつながり、高校時代の学習が途中までそこそこうまくいった一因になったと感じている。

 

ここでタスクに設ける時間制限というのは自然な動機から導かれることがポイントだと思う。例えば「バイトがある」「友達との約束がある」「学校・職場にいかなくてはならない」「ゲームしたい」「酒をのむ」などといったことはタスクとは無関係でなおかつ並行不可能な事柄である。こういった事情があれば、時間切れを迎えたときに強制的にそのタスクから離れることは比較的容易だ。しかし、時間制限を設けたものの「終わったからと言って特にやることがない」という状態だと「じゃあもう少し続きをやるか」といって、結局は延々と集中力の切れた状態で効率上も精神衛生上も望ましくない作業が続くことになる。

 

実はいまのぼくがまさにそんな状態で、「終わったからといって特にやることがないからだらだら続ける」という無間地獄を味わっている。

 

そういう事情においては、一旦趣味を見つけるか、あるいはサークルなどの組織に参加することをもっとよく検討した方がよいのかもしれない。自身の欲求などの内的要請であれ、あるいは他者との約束や組織との契約などの外的要請であれ、いずれにせよある程度の強制力があるようなものが望ましい。

*1:というか自分がそういう記事をよく目にする