射程範囲外からの好意にも対応できる素敵マン

「DK(ぼく)以外からの好意はウザいだけやで」

つれの鋭く厳しい言葉に少しビビった。某SNSで(おそらく好意が高じて)プライベートに突っ込んでくる人がいるという事案があったという文脈での発言だった。これを一種の愛情表現だととらえることもできるのだろうが、残念ながらかなしい気持ちがまさってしまった。

 

好意を表現する様式(プロトコル)についてではなく、好意そのものを「ウザい」とするところに引っかかりを感じてしまう。自分がいままでに大なり小なり好きになってきた人たちを思い出して身につまされる。「あ、好意自体がダメなんか……そうか、人は見せようが見せまいが好意を抱く自由も与えられないまま死んでいくんやな……」といじけてしまいそうになる。

 

癪なのでこう解釈してやろう:

つれはこれまで他人から好意を寄せられたことがほとんどなかったという*1。したがって他人からの好意(特に射程範囲外からの人)に対応するノウハウがあまり身についておらず、その結果いまどうしていいかわからずに嫌になってしまっているのではないか。

 

ここにはぼくの願望が含まれている。すなわち、「つれには他人から望まぬ好意を寄せられても余裕を持って対応できるようになってほしい」。またぼく自身もそうでありたい。そしてぼくがこれまで好意を寄せてきた人たちも、きっとそうだったのではないかと信じたい。好きだからと言って「うまく手籠めにしてやろう」などと考えずに、また自分の感情で相手を圧迫しないように注意しながら、好意をあたためる。これまでにぼくが好きになってきた人たちには、それくらいはしてもきっと大丈夫だったのではないかと思いたい。だってだって好意がばれていようがいまいが「好きだった期間=迷惑かけていた期間」やなんてかなしすぎるやないか!

 

 

ただし、いくら自分に言い聞かせても誕生日に貝割れ大根をプレゼントした事実をなかったことにはできないという厳しい現実からは逃げられません。

*1:単に彼女が鈍感で気づいていなかっただけという可能性を含む