「おもしろさ」や「魅力」を探し求めて息切れしてませんか
「あなたのことが好きですよ」
「あなたから独立していますよ」
この両者のバランスがとれている状態が、いかなる人間関係においても快適さに直結していると最近感じる。ともすると私は「おもしろさ」「魅力」といったものにとらわれて、勝手に息苦しくなってしまうことがある。「自分といるときにおもしろいと思ってもらわないと」と不必要な圧力を自分自身にかけてしまう。そのような圧力はひょっとすると相手にまで伝わってしまいかねない。
「おもしろさ」や「魅力」といった漠然とした"総合力"を要求するような基準から脱却し、より自然体でいられるための心がけが、冒頭の「好意と自立心の表現」である。正確に言うと、私はあなたが好きですよ、あなたなしでもなんとかやっていけますよ、という気持ちを適度に出せているときに、結果として会話がうまくいってその場が楽しくなりやすく、お互いにとって気持ちのよい関係を築きやすいということに気づいた。つまり、正体のわからない"総合力"を、意識してやるべきことと、意識しなくても自動的に発揮される持ち味とに分けて、負担を減らしたわけである。おもしろさ、魅力というそのままではどうしようもない特性から解放されると、管理可能な独立変数にリソースを割けるようになって、「なんとかなるんじゃないの」という気楽さ・余裕が出てくる。自然、当意即妙な切り返しなんかもわいてくる。
好意・自立心メソッドそのものは普遍的でもなければ永続的なものでもない*1だろう。むしろより大切にしたいのは、「おもしろさ」とか「魅力」というそのまま自分に課すには曖昧で大きすぎる要求を、いつでも自分に扱える程度にカットダウンするという心がけの方だ。世間で言われているような「おもしろさ」「魅力」というのは、くちずさみやすいが安易でいい加減な言い回しであり、恐るるに足らぬとどっしり構えていられる*2。
「おもしろさ」や「魅力」は目指すべきゴールではなくスタート地点というか、解ではなくそこから自分なりの考えをすすめて、あなたらしさを見いだすための問にすぎないというか、そういうもんだと思って、そこで無用に立ち止まらないようにしたい*3。