反対方向の道を知ることは地図を広げるために役に立つ

 

saavedra.hatenablog.com

  

どうなのでしょうね、実際のところ。「夢や願望を成就する」といった自己啓発本とはまるで逆方向の仏教の本が売れている。この現象を過去から現在にわたる社会のありかたの変化と照らし合わせて捉えようとすると、「夢や願望を一度はもってみるんだけれども、実際に目指してみるとそれがどうもうまくいきそうにない雰囲気が漂っているから、心の中で折り合いをつけるために仏陀に相談してみる」などというストーリーが脳内で自動再生されて、どうもほの暗い気持ちになってくる。みんな「何かを諦めなくてはいけない」と思う時代なのだろうか、と。

 

このあたりについての判断は、データも素養もないわたしには下しようがないのですが、仮に調査して数字を出したら、そういう"夢から覚めるべく仏陀にすがる"人が増えていることが定量的に裏付けされてしまいそうな気がしないでもない。

 

 各々の世界で正気を保つ術を示す仏教

ところで、いまや旧聞に属しますが、在りし日のスティーブ・ジョブズは東洋的な世界観や仏教に深く傾倒していたと言われています。彼は仏教の考え方を身につけて骨抜きにされたのではなく、むしろ夢を信念に昇華して行動につなげたと言えると思います。また、自ら設立したアップル社を追われて新たにはじめた事業がうまくいかずに苦しんだ時期も、仏教をよりどころにして乗り切ったとも伝えられています。こういう逆境において仏教は「執着は苦しみのもとですよ」なんて言い聞かせてくるはずなのですが、ジョブズは"Right, I quit."とはならずに、そのまま茨の道を突き進みました。

 

付け焼き刃のジョブズ考はこれくらいにしておきましょう。他に仏教の考え方を上手に取り入れてやっている著名人が少なからずいることを考えても、仏教そのものが世俗的な"成功"と必ずしも相性が悪いわけではないはずなんですよね。そもそも仏教の本とひとくちに言っても、本当の仏教書から仏教を下敷きにした当世当世のオリジナル処世術までいろいろで、筆者によっては強く方向付けをしているものもあるかも知れませんが、本来のベースにある思想は社会的地位の如何を問わずにどんな人をも受け容れる懐の深いものではないでしょうか。

 

 仏教が夢の実現とは逆方向を示していても

もともとは報われそうにない執着と決別すべく仏教の本に手を伸ばした結果、当初の目的通り諦めがつく人もいれば、かえって肩の力が抜けてそのままうまくいく人もいる*1。おそらく、仏教はそれくらい(それ以上に)様々な化学反応を起こしうるポテンシャルを持っているわけです。

 

また、進退いかに決するにせよ、「これから舵を切る方向とは反対側に何があるかをよく知っている」というのは、その先も俗世を生きていく上できっとプラスになるはずです。ちょうど、現在地から最短ルートしかかかれていない地図よりも、余分な周辺情報がかかれている地図の方が断然わかりやすいように。

 

そうして版図を広げ、経験値をため、人生レベルを上げた個人が織りなしていく社会は、数字の上でもそう悪くはならないのではないかな~などと期待半分で思いました。そんなに甘くはないか。

 

 

 「書店で仏教の本を見かけると、時々怖くなる」とおっしゃるところへ気休めを言うという想定で知ったかぶって好き勝手書いてみましたが、やはり実際に世の中に分け入ってナマの声を聞かないとわからないものはわからないのかも知れません。

*1:本は買ったけれども内容を誤解する人や、そもそも積ん読のままになっている人ももちろんいる