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切れ端

おじさんというガワをかぶりながら生きていくことは考えてみると結構難しそうである。実際に身近のおじさんたちやブロゴスフィアのおじさんたちを見ていても、中年男性であるという事実を理由にそわそわしてまるで居場所のないかのように振る舞う。話を聞くに、何気ないはずの一挙手一投足が周囲の目には重たい意味を帯びて見えたり、ときには風船にじゃれようとしたハリネズミのごとく相手に思わぬダメージを与えてしまっていたりするものらしい。

 

また、「悪いことばかりじゃないよ、自分はおじさん好きだよ」という主張も傾聴してみると、おじさんのガワが連想させるファンタジーを愛し、実在しないおじさん像を崇拝しているだけであることも多い。何かを好きでいることはまったく結構だが、残念ながら実在するおじさんの居場所拡大の足しにはなりそうもない。

 

年齢を重ねるにつれて居場所が小さくなっていくおじさんたちは、いったいどうやって生きているのだろうか。時々思いやっては不安になる。「存在しないことではじめて受け容れられる(かもしれない)存在」ってなかなか難しい。気の置けない友人や配偶者といった自己愛のオアシスを見つけられていればそれでもなんとかやっていけるかも知れないが、そうでなければ自分で心の日銭を稼いでしのいでいかなければならない。

 

ぼくはおじさんが好きだと思っているのだけれど、上述のようなことを考え合わせると、その「好き」の裏側に「未来の自分が少しでも楽に存在できるように」という利己的な側面が浮かび上がるような気もする。

 

それでもぼくは「誰でもいいから抱きしめられたいおじさん」を抱きしめるよ。そんな窮屈そうにせんでもええんやで。ぎゅっ。