PCを断ってから10日余になる。経過はまずまず。それにしてもこうして距離を置いていると、これまでの人生のいくつかの局面において、ぼくはPCとインターネットに助けられたことがあったのを思い出す。
前のエントリにおいて、PCをやめた理由を「進路と健康に取り返しのつかない悪影響を及ぼすと思ったから」と説明した。実は以前からディスプレイのもたらす刺激には依存性と脳のリソースを奪う作用があることは感じていて*1、ネットに没頭する毎日の先にある結末を想像するになんとなく不安ではあった。しかしその未来に対する漠然とした不安感は、日々の疲れと相まって、ぼくを教科書ではなくキーボードの前へと駆り立てていた。そして、いよいよ問題は退っ引きならぬと自覚するまで、この悪習慣から脱け出すことができなかったのだ。
しかし、ここへ来て「他に何も考えられないようにする」「癖になる」感覚それこそが、当時無間地獄を落ち続けていたぼくの掴むことができた唯一の糸であったことが強く意識されるのである。
中学生だったとき、一時期グループから"ハブ"られていたことがあった。そのときにぼくを救ってくれたのが当時流行していた個人サイトの掲示板とフラッシュだった。高校時代に弱り果てて不登校になったとき、ぼくをこの世に引き留めてくれたのはネット配信と動画サイトだった。いまやそこで知り合った人たちとの交流はごく僅かを除いてなくなってしまったが、彼らは確かに当時のぼくの心の支えとなってくれていた*2。
人生の各段階において、それぞれに適切なPCとの付き合い方というのがあり、ともすればそれが傍目には不健全でナンセンスであるように映ることもあるかも知れない。オンラインゲームにうつつを抜かしたり、自分の趣味に適合するポルノコンテンツ探しに躍起になったり、"しょうもない"動画や小説サイトでゲラゲラ笑ったりフームとうなったりして、苦しい毎日をどうにかやり過ごすことが必要な時期だってある。
そしてぼくは苦しい毎日から逃れるしかない時期にどうやら終わりが来たように感じている。PCには、いまは全く触っていないが、将来必ず必要になる*3。また、病めるときには慰めを求めて一時的にどっぷり浸かってみるのもいい。ただ、これからそんな使い方をするときも、これまでの3年間よりはずっと自覚的でありたい。
ありがとうパソコン。これからもよろしく。