読書しろ

この間『読書力』(齋藤孝 岩波新書)を読んでから、読書行為へのモチベーションが上がり、まーた預金口座に不相応な出費を書籍に当てている。 

 

でも、ええねん。読書はアイデンティティ形成に役立つねん。父は高校生の頃に読んだLes Misérablesを「現在の価値観、行動原理の原型となった、当時の自分にとって画期的だった作品」としている。そして、『読書力』の著者もまた、そういった作品がいくつかあったという。ぼくは小学生時代にハリー•ポッターシリーズにはどハマりし、それこそハードカバーの本がボロボロになってしまうほど読み込んだ思い出がある。しかし、それは青年期以降の人格形成に資するところにはあまり多くはなさそうだ。もっと「精神の緊張を伴う」文庫本なり、新書なりを幅広く読んでいく必要がある。著者は、ある程度の読書力が身につけるために「文庫本100冊、新書50冊」を目標の目安に提示しているが、少なくともいま目の前にある本棚にしまってある、読了した本の冊数はそれにはまったく及ばない。文庫本、新書を合わせても精々30弱。実家に置いてある文を足せば10ほどは増えるかも知れないが、いずれにせよ計150冊には程遠い。これからもっと楽しく読みまくっていく。それに伴って、ブログの文章がより洗練されていけば幸い。

 

また時間ができたらもう少し気合の入った読書感想文を書いてみようかな、と思っている。このような漠然と自分の経験に結びつけてだらだら書くだけの感想文ではなく、テーマを設けて詳細にフォーカスしながら他の本を文章中に引いたり、内容から得た連想をエッセイ的に書き綴ったり、もっとはてなっぽい、熟れたようなものを書けたらいい。

 

小中高の夏休みの代表的な宿題として課されてきた読書感想文は、「書き出すまではしんどいけれども書き出すとおもしろい宿題」だと感じていた。着手するまでは「本を読む」「原稿用紙に書く」という2段階を踏まなければならない重たいタスクだが、いざ書き出してみると徐々にリズムをつかめてくる。筆が進むにつれ「うおおおお!」と感情がヒートアップし、自分でも普段の生活では思いつかないような主張や言い回しが飛び出したりもする。いまでも人目を気にしなければ、そんな風に没頭して書けたりするかも知れない。出力を意識した読みかたをし、読んだ内容をつかってやることで、読書体験をより充実したものにできればよい。

 

読書を楽しみ、いろいろな考え方に触れ、自己形成に役立てるために必要不可欠なのは生まれ持った才能ではない。読書を重ねて訓練していくことが重要だと著書で強調されている。「読書の"才能"」ではなく『読書"力"』というタイトルになっているということは、その鍛錬可能性を暗に示す、希望に満ちた表現だと思う。

 

まあ希望に満ちてても4桁に近い5桁の口座預金が満ちていかないのが、実際の人生において割り切ろうにも割り切れない、難しいところと言える。お金をください。今月末に確実に3万が飛ぶ。