ごめんなさい

善の研究』を読んでいる。戦前は大学生の必読書だったというが、今日ではどうか。

 

 

ぼくは哲学のことはまったく知らないが、これを哲学書としてよりは「いかに生きるべきか」を説く人生論のようなものだと思って読んでいる(タイトルにかなっている)。純粋経験なるものを種に分化・統一を繰り返しより大なるものに至ろうとするのが我々の意識というもので、我々はただそれをのびのび育たせるのだ、善とは自分の中にすでにあるものなのだと、繰り返し励まされているようで元気が出る。かつて死んだことにしてしまった自分の精神活動にも再び信をおいてみようという気にもなる。自殺はいけないと断言してあったのは読んでいて後ろめたくなったが、全体として気分が前向きになる。

 

Wiなんとかdiaによると、著者自身、若い頃より、家族の死、父の事業の失敗による借金、学歴差別、配偶者からの離縁などとあまたの苦難を味わっている苦労人だった。苦境にあって得た思想というのが救いを与えるようなものであったとしても不思議ではない。これを知るまで、「哲学の道」の由来になった有名哲学者だから「どうせエリートぶって、すまし顔でイキって歩いてたんちゃうか、ん?」とまこと勝手な先入観を持って過ごしてきたことをここに告白し、お詫び申し上げつつ就寝する。