ニケおじさん

先日、久しぶりに観光だと意気込んで、自転車で市内を縦横無尽に走り倒した。その日はまだ日中の日差しの厳しい真夏日だったにも関わらず、水分補給が不足していたのか、気づかぬうちに半分熱中症にかかっていたようだった。汗をよくかいたのでさっぱりしよういうことで、おしゃれなインドカレー屋で夕飯をいただいてから、ネットで評判の高い銭湯へ、やはりまた自転車に乗って出かけた。自転車と馬の違いは何か? 馬は乗る者に「駆けよ」とむち打たれるが、自転車は乗る者を「こがねば動かぬぞ」とむち打つ点にある。

 

ようやく着いた。この時点ですでに計18kmほどを走っている。数字だけ見るとたいしたことはないが、炎天下でアップダウンのあるコースを走行しており、かてて加えてぼくは腹痛を起こしていたので、もうかなり体力がそがれていた。早く湯船に浸かってあらゆる思考を放棄したいと望んでいるところである。ガラガラと入り口の戸を引くと、風呂から上がって帰りかけた丸刈りのおじさんがわれわれを見て声を上げる。

 

「ニケ!」

われわれの混乱に乗じて再び。

「ニケやな!」

ぼくが、「ああ、ナイキのことか」と得心するより先に、ナイキのTシャツを着ていた当事者であるところの友人が答えて言う。

「ああ、そうですね、ナイキ……」

「にけちゃうな、ナイキやな。ガハハ。君らはたらいてるん? 学生? 何大学?」

 

申し訳ないが今日だけは勘弁してくれと思った。ニケおじさんがナイキの友人に絡んでいる間にさっさと靴を下駄箱にしまい、券売機を眺めているふりをした。彼らの会話は続く。

 

「わしはな、早稲田やねん。早稲田の政経や。俺らの高校すごくてな、京大医学部18人。俺ともうひとりのヤツはもう全然あかんかったけどな。俺らなんかは偏差値76やけど、あいつら偏差値83や。ばけもんやで。君ら医学部か?」

「いや、医学部ぅ……ではないです……」

「なんや、医学部ちゃうんか! あいつらは恐ろしいな」

このような調子で会話の濁流に巻き込まれてしまった友人は半分怖じけながら、何とコメントしてよいやらわからず、かといって強制的に会話を切り上げる術もなく、途方に暮れていたと後から聞いた。ぼくはてっきりまあまあうまくやっていると思い、助け船も出さず、最後まで券売機とにらめっこしていた。


どうすれば角を立てず、ニケおじさんの気分を害することなく、またわれわれも早めに会話を切り上げることができたか。ぼくは「何度か問い返す」というのが最も有効な手段だったと思う。

 

質問する相手の回答を踏まえて、さらに疑問点を聞き直したり、補足の説明を求めたりする「問い返し」には、質問に輪をかけて考える力や主体性が要求されます。

質問する,問い返す――主体的に学ぶということ (岩波ジュニア新書)

 

「相手のことを知りたい」「何としても聞き出したい」という気持ちが湧いてこなければ、質問は一度きりで終わってしまいます。

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例えば、「へえ、それはすごいですね。どこ高校なんですか?」と問えば、嬉々として「○○高校や。ほら、あの××いうところがあるやろ――」といった具合に答えてくれたはずだ。そうして2, 3のやりとりをしてから、「じゃ、入ってきます!」とでも言って切り上げれば、にけおじさんとしては若者と短いながらも自分への興味・関心・敬意を感じ取って生き生きとしたコミュニケーションをとれてうれしく、われわれも早くお風呂に入れて一石二鳥であるというわけだ。理論的には。

 

と困っていた友人に後から偉そうに講釈を垂れていたら「うるさいんじゃボケ!」と手足ぐるぐる巻きに縛られて浴槽に沈められた。ぼくはボケおじさんとしてその生涯を終えた。