1 on 1 でする恋愛などというものは、到底ぼくの手に負えないように思われる。そういう感覚に常づね物陰から見張られ、つきまとわれてきた。

 

いざその感覚に向き合って分析しようと奮起すると、たちどころにその感覚そのものが薄らぐ。それに取って代わって、今度は自分にもやればできそうという楽観が(これもやはり感覚に過ぎないのだが)ぼくの中で充満し、「実は『そんなに恋愛というものをやってのけられない』というのは、明確な理由なく自身を過小評価していたからにすぎない」と早急に結論を出して、このことについて考えるのをやめてしまう。そうしてまたしばらくすると、隙を見いだしたかのように、また「自分には恋愛というものは不可能そうだ」というような気分が、漠然とやってくる。そういう意味で「できない」という感覚は常に物陰からこちらをうかがい、こちらが振り返るたびに身を隠し、しかしおそらく確実にぼくの周囲のどこか、こちらからは容易に特定させてくれないような場所から、気配の圧力を送り続けている。

 

ぼく自身が「恋愛」というものを嫌っているのかも知れない。愛はわかるつもりだが、恋とは何か。ぼくには愛といえば慈しむ愛しかない。それも特定のひとりをひいきして、そのために己の信ずるところを曲げるような、そういう愛し方はもうできない。そんなものは必要ないと世の人はいうかも知れないが、あなたがよしとするところの恋愛様式とは、あなたが個人として望むところの恋愛のかたちとは、では、いったいどういうものなのか?

 

いわば夜の乱文である。頭のぼけた文章だ。明日のぼくが見れば、いつものとおり、赤面するようなことを書いているにちがいない。さようなら。