性において精進鍛錬せねばならない

ぼくは、性においては人一倍傷を負ってきたと考えている、そのような節がある。性についての傷跡は敏感で、そこへ苦情が入ったりすると、それがたとい冗談めかしたものであったとしても、容易に心神を摩耗するというような心理上の弱点をなしている。苦情が切実なものであれば、ぼくは真正面からそれに向き合う用意がある。むしろたわいない冗談めかした照れ隠し(たとえ親密な間柄であると熟知している相手からの、愛情を含んだものであったとしても!!)に対して、本来自らに期待してよいはずの寛容性が機能しない。直ちに擦り傷を、神経の多く通っている部位に負う。

 

しかし、これはぼくの克服すべき課題、破るべき殻であると信ず。たわいない冗談めかしたからかいに逐一心を痛めていては、この先生きのこれない。

 

いかに克服するか。それは人間において、性に関する経験を積むのが最も有効であろうと思う。安直に性行為を重ねるという意味ではない。広く一般に性に関する、打ち解けた対話、体験談の交換、所信表明、そういうものをなるべく多くの、各種各様の人たちと重ねていくこと。

 

先に、性的に「人一倍傷を負ってきたと考えている、そのような"節がある"」と述べた。要するに、経験の不足、見聞の狭さに由来する視野狭窄を疑っているのである。独りよがりの、悲劇のヒロイン(ヒーロー?)の役回りから脱却できていないだけなのではないか、と。

 

ぼくはまだまだ若輩者に過ぎない。かつて年齢不相応の受難者たる立場にあったとしても、それをもって人生のあらゆる艱難辛苦を知り尽くしたことにはなるはずがない。過去の難儀をもって、「ぼくはこんなに苦しんだのだから」と他者に不当な斟酌やら配慮やらを求めることなど、言語道断。