技能教習を受ける。いよいよ練習の総集編たる検定コース巡りがはじまった。場内は狭いから合図を出すのがおくれてしまいがちだ。曲がったら直ちに交差点という箇所がいくつもあるので30m手前も何もあったものではない。結局経路と手順を暗記するよりしかたない、と思って合図と安全確認に気をとられていると、今度はハンドル操作がおろそかになる。おかげでこれまで失敗したことのなかった屈折で初めて脱輪してしまった。左折で入るので、確認、合図、減速、確認とやっているうちに入り口が存外目前に迫ってきており、いま思えば慌てることはなかったのだけれども世の現場はいずこも常に緊張を強いられているもので、慌ててハンドルを切ったところ、予定調和、内輪差で脱輪と相成った。我が領分にて初黒星がついたようでなんとなく惜しい心持ちにはなりかけたが、よく考えてみれば屈折の内部で失敗したわけではない。あくまで入りしなに、すなわち外部でちょっとこけてしまっただけのことだ。屈折の本質はあの直角の外側に並んで懸垂している竿にあたらないように注意を払いつつ、その注意が過ぎて直角の内側で後輪をはずしてしまわないように心を配る、その平衡感覚に存する。さらばやはりホームでの失点は0ということで相違ない。やはりぼくは車体感覚のプロである、えっへん。

 

アホとちゃうか。

 

ちゃうねん、ちょっと左肩の肩胛骨の内側の筋に鈍痛があって、それが頸の左後ろを通じて、左側頭部にずきずきと疼痛を引き起こしているので、アホな文章を書いて気を紛らわせてんねん。強いて称さばプチ偏頭痛、これを処するにかように恥をさらすをもってす。文体だけちょいと高尚そうなものを真似てみて、しかれどもその実なんの本質を内在しない、それらしき文章を臆面もなくさらしているのである。サロンに出入りする、あの浅墓な知識の半可通どもと、やっていることは同じだ。それじゃあ大抵価値はないさ。そんなことをわかりきっていながら、なおあえてその恥をさらすのである。

 

しかし、ぼくは信ずる。内心においてこれをやれば恥ずかしい、恥だと思っていること、切にひしひしと感じているその恥の感覚を吟味し、しかる後にあえて公表すること。これは、ぼくの精神生活における大切な処世術であると信ずる。

 

そろそろほんましんどいから寝よ。

 

 

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