正当に評価されたい

金曜日をピークに忙しさが少し減った。昨日と今日のこの後には短時間のシフトをこなす。

 

このごろ自分は正当に評価されることを欲求しているのではないかと思うようになりつつある。評価といっても手放しでほめられたいわけではなく、善し悪しにとらわれずぼくの特徴を捉えて、それを言葉で返してほしいということだ。これは「ただほめる」「ただけなす」よりもずっと労力を要する行為だろう。だから、それを楽しんでやってもらえれば最高だと思う。

 

「お前ってこういうとこあるよな」と言われたい。

 

その指摘が、たとえぼくから見て多少外れていたとしても、まずはそうやってぼくをきちんと見ようとしてくれていることをありがたく思う。その「一見外れた指摘」も、誠実な分析によって導出されたものであれば、時間をかけて味わいたいと思う。

 

指摘が自分が持っている自己像に当てはまっていれば、その自己像は他者に裏付けてもらえたことになる。それを手がかりにして「自分はこういう人間なんだ」というアイデンティティをより堅固にすることができる。

 

指摘が自分の予想の地平を超えて投げかけられたものであれば、ぼくは全く新たな知見を得られたことになる。それは視界がぐっと広がり、新しい可能性が見えてくることを意味する。

 

今日はもう就寝すべき時間を疾うに過ぎているので、文章も全く練ることなしに、勢いで書いたまま投下する。このごろ気になっているトピックなので、忙しいなりに合間を縫って、もう少し時間をかけて考えたい。