発言しろ

外大の友人と会い、数年ぶりに麻雀を打った。留学したり、就職したり、よその学校へ移ったり、とにもかくにも長らくそろわなかった足並みを強いてそろえた。日程調整に加えた圧のしわ寄せは、メンツのひとりが途中でバイトだといって抜けてしまった部分へいったと見える。麻雀の後は、就職した友人の新居をのぞいて、英語で近況報告を交えた談笑をしていた。その余韻に浸りながら、帰りの電車でとりとめもなく考えを巡らせる。

 

一見自明な事柄でも、負担のない範囲で口に出して言うということは重要だ。「これもうあかんわしんどいわー」でも「それって、えっ、そういうことやんな」でも「あー」でも「う~~」でもなんでもよい。いま可能な精一杯の発言をすればよい。無意味なコミュニケーションを巡る議論が少しく前にあったことを連想して思い出す。発言に有意味を追求しすぎると、結局沈黙するほかなくなってしまうと思う。特に沈黙は不安や不信がはびこる格好の土壌で、他者との共生共存を目指していく上ではなかなか厄介な障害となる。当たり前のようなことでもできるだけ指摘・確認する。場の議論に、誰の目から見ても明らかな深化をもたらさなくとも、発信しているという事実が「参加表明」という重要な役割を果たしている。

 

負担のない範囲で、というのもまた大切だ。とにかく場の圧力に応じてのどを絞められたかのごとく息も絶え絶えにやっとのことで声を絞りだすしてみたものの、その努力に見合わない冷淡な反応を受け、ついに自分自身の存在意義に疑問を呈せざるを得ず、満身創痍で、うつむき加減に目前を凝視しながら惨めさを振り切らんとする速度で家路を駆けるという悲劇。……というのは誇張が過ぎるかも知れないが、いずれにしても、複数人との会話で思うような反応を得られないことに傷つき、ますます消極的になってしまうことはまれによくある。

 

グループ会話にはグループ会話の文法というか、リズムというか、対話とは明らかに異なる論理がある*1。以上の曖昧な理解が示しているとおり、ぼくはグループ会話が苦手なのだが、これはもう場数を踏んで失敗しながらなんとかすくってもらいつつ慣れていくしかない。つまり人の善意を信じるよりほかに道がない。

 

それよりも発言したという事実に価値をおきたい。発信すれば誰かが聞いている。シグナルはちゃんと輪に入ろうとしているという姿勢としてちゃんと残る。内容は無意味でもかまわない。ぼくはブログを更新しようとして数時間画面をにらんで苦心して数行ひねり出すものの、結局ものになる見込みがないと丸ごと放棄してしまう*2。こうやって内容の無意味さいい加減さを自覚しながら、自ら無理強いせずにできる限りのエントリを出力して投下することも、発言という営みのひとつに数えてもよかろう。

 

それから、これはまったく無意味ではないが、感謝、尊敬、信頼は言語情報で伝えることも、しっかりやっていきたい*3

 

疲れていつの間にか車内でまどろんでいたが、それでも乗り過ごすことなくなんとか家にたどり着いた。今日の家路はかなしくなかったで。

 

よかったですね。

 

はい。

*1:モノローグ、ダイアローグの類推でポリローグにあたる訳語がないかと思ったが、そもそもポリローグという用語自体があまり一般的でないようで、グループ会話と称するよりしかたがない

*2:何を悩んでいるのかは自分でもよくわからない。おそらく思考停止している

*3:ブログの読者各位、ありがとうございます