お前が拒んでるんやで

結局、ぼくの方こそ心を開けきることができんかったというだけのことなんやろな。

 

サークルに入って、あるいは卒業ゼミに参加して、あるいは院試ゼミなるものに顔を出したりして、人間関係の幅がぐっと広がってからしばらく経つ。無目的の集まりではないので、忙しい面もあるが、うまくリラックスして楽しめているのではないかと思う。思ったよりも世の中には懐が深い場所が点在している。そのような環境で過ごしているうちに、自然と「ぼくの方が壁を作ってたんやな」と思えるようになってきた。

 

高校で憂き目を見てから、そこかしこをさまよって、ときにわけのわからん集まりに参加してみたりして、外大に入って、浮き沈みありながらもなんとか友達を作ったりして、それでもやっぱり数学をやってみたいと思って、覚悟を決して予備校行って、失敗の許されない受験をした。やっと入ったと思ったら、今度は授業が難しくて、毎回行くのがしんどくて、長年めちゃくちゃな生活をしていたせいで脳がすっかり衰えてしまったのだと半分本気で思ってみたりして*1、それでもなんとか単位だけは卒業できるように揃えることができた。

 

人生で苦労をしているのはぼくだけではないということを、重々承知しているつもりだった。「なんて不幸なんだ」という態度をぼくはもってはいないはずだし、またもつべきではない、と。それは、まあいわば「悲劇のヒロイン」の世界に心を明け渡した苦い経験に裏付けされた認識だ。むしろ反発心といった方が正確かも知れない。

 

ぼくが他人と積極的に関われなかった理由が数学科の雰囲気にあるというのは部分的には正しいかも知れない。まったく主観的だが、そういう「拒まれている」という印象を持ったのは事実だからだ。だが、その「拒まれている」という感覚をもたらしているのは、数学科そのものよりも、自分の過敏な心性のほうだったのではないか。これまで何のサークルにも入らず、勉強会もごく内輪でしかやらず、教室でもふさぎ込んでいた*2自分にこそ、人と交わる機会をつかまなかった"責任"があるのではないか。

 

実のところ、そういったことは春ごろにはうっすら感づいていた。が、ある程度「受け容れられているな」という実感を持ったいまこそ、「自分のガードが堅すぎた」という判断を下して、これからの付き合いに対してよりオープンでいられるように心がけていくことができる。望みのとぼしいうちに下す判断は、得てして自分の可能性を損ねる方向へはたらいてしまう。安定して望みをもてそうなこのタイミングでこそ、過去3年間の人付き合いを振り返る意味がある。


そう言いつつも、どこかで見限られる不安がないわけではない。いま受容されていても、いつ拒絶されるかもわからない。あるいは、自分がついていけなくなるかもわからない。そうしたときにどこまで気丈でいられるか。

 

安定して望みをもてそうなと言ったが、重大な見落としがあった。まず、院試に受かるか。やばいと思う。

*1:抗うつ剤などの薬を長年服用していたので、そこへ原因を押しつけようと試みた

*2:「そもそも教室に存在していたのか」という異議申し立てもあるが、それは北朝鮮でいうところの無慈悲な懲罰というものだ