人ががんばっている話をきくのがすき

先日、サークルのメンバーが主催する「留学生交流会」に参加した。まあ日本に留学しに来ている学生が来て英語かなんかでしゃべるんやろと思って行ってみると、実は「留学生経験者が留学希望者と相談・談笑する会」であったことが判明した。他の参加者・主催者に当たり前のように「留学行ったことあるんですか/考えているんですか」と問われたので、出任せに「いつか英語圏のどこかに」と言ってしまった。カルマ値は少し低下したが、幸いにもみんな自分の海外経験や希望を語りたがっていたので、大抵傾聴していればおもしろい話が聞けた。ひとり北朝鮮情勢に興味があるという噂の参加者*1がいたが、残念ながら席がやや離れていて言葉は交わせなかった。音楽について話してみたかった。会の内容についての勘違いや話したい人と話せなかった心残りはあったが、一般にソーシャライズすることはぼくにとってはリフレッシュになるようで、期待以上に楽しめた。

 

ぼくの隣に座っていた、中国語がんばるマン2回生には中国語をがんばってほしい。彼は1回生のころ、何の中国語の素養もない状態で、中国へ(それも上海や北京といった都市ではなく、南の地方へ)、直前にごく基本的な単語だけ詰め込んで、代理店にも頼らず2週間ほどの旅行に行った。旅路では、案の定、こてんぱんに大変な苦労を強いられた。マクドナルド(中国語: 麥當勞(マイダンラオ))で1回の注文するのに30分もかかったときには、店員さんにかけた迷惑やら、こんなことに苦労をする自分への嫌気やらでくたくたになったという。旅を終えた彼は、これまで「楽単だから」という理由でとっていた2外の韓国語をやめ、中国語に切り替えた。旅で味わった口惜しさが本気で話せるようになりたいと思う熱意の火種になったとでも言えるだろうか。それからいまに至るまで充実感を味わいながら勉強しているという。

 

人ががんばっていること、充実感を持って取り組んでいることの話を聞くのは楽しいし、自分のモチベーションアップにもなる。ぼくがもっとオープンになれていれば、もっと多くの数学科の学生たちにもそういう話を引き出すことができたのかも知れない。……いまさらである。

*1:同志(トンジ)とあだ名されていた