おじさんと若者

ゼミの飲み会があった。ピッチャーでくるビールをなみなみとグラスに注ぎながら、アニメの話、部活の話、海外の文化の話、先生の経歴の話……と話題はうつろう。みな普段はあまりしゃべらない(しゃべるきっかけがない)し、話すのは数学の話ばかりなので、数学に関係のない話をしていると新鮮な感じがする。みなそれぞれに思うところを抱えて生きているのだと改めて知る。学生の孤独感をどうすればよいのかという問いに対して、先生が孤独感は解消し得ないと答えたのが印象的だった。

 

「孤独感を解消するのに、宗教もアリだと思うんです。実際、宗教によって幸せに生きている人がいて、うらやましい。でも、それってやっぱり初心者にはハードルが高い。じゃあ、といったときに哲学って手頃だと思ったんですよね。偉大な哲学者の死生観とか、そういうものを読むと、何となく救われるような感じはある。でもやっぱり自分が何を望んでいるかというと、つまるところは仲間みたいなものがほしい。例えば親は親身になって話を聞いてくれるけど、親に何でも話せるわけじゃない。そういうことを話し合って、わかりあえる仲間がほしいのかな……」

 

「哲学科の人間はよくこういう席をもうけて酒を飲むんですよ。それでお互いに哲学の話を延々とする。しょっちゅう翌朝まで語り明かす。けれども、結局のところやっぱり孤独だね」

 

世界があった。先生の側にも、学生の側にも、それぞれがそれぞれの年だけ築いてきた人生観があった。ひとことではいいおおせない曖昧な長期的感覚を共有しようとする試みそのものが、考えてみると驚きに値する。さらには彼の孤独感が、年長者の口からしぶい情念を引き出したことは興味深かった。おじさんの言葉だ!! 

 

 

青年と中年との人生がふっとふれあって、まもなく別の話題へうつっていった。

 

 

 

ところで、ぼくが先生のことを「おじさん」と呼んでいたとかいう告げ口はしないでください。卒業に関わるかもしれない。