比叡山を登った

ニケと比叡山延暦寺を訪れた。いや、それは付随的な結果であって、目的ではない。われわれの目的は登山そのものである。

 

出発は13時頃。腹ごしらえに入ったそば屋でおばちゃんに道を訊くと、「その格好で、いまからの時間からやったら……」と別ルートを勧められるが、あえて従わず。

 

山の麓で早速道を間違えた。きらら坂登山口へ向かうべきところ、看板に「行き止まり」と書き添えられた音羽川の砂防方面へ進んでしまい、そこから無理に登ろうとして悪戦苦闘したあげく、ニケがぬかるみに足を取られてしまった。両足首までずぶりとはまっており、真っ白だったはずの靴が茶色に染まっていた。こういう場合起こりうるのは、意気消沈して諦めて帰ってしまうか、むしろ逆に発憤して何が何でも成し遂げてやるという決意を固めるかである。今日のニケは後者だった。われわれは引き返して、正しい道を登りはじめた。人間苦労をしておくものである。登りだすと、勾配を苦にせずずんずん進む。音羽川砂防で道なき道を往かんとする泥沼の経験に較べたら何のこれしき。それみたことか、そば屋のおばちゃん。狭い岩の間を通り抜けたり、1メートルほどある段差をよじ登ったりするのがゲームのようで楽しい。サイレンにこんな場面があったような気がする。「いや、命の危機が迫ってるんやから悠長に『うんしょっ』とかいうてたらあかんやろ」と思ったものだが、なるほど、これは案外大変。

 

しかし足下がよろしくない。石がごろごろしていて歩きにくい。歩きにくいと坂を登るのに余計なエネルギーをとられる。かといって道がよければよいで、がんがん進んでしまう。用意した430mlペットボトルのお茶もだんだんと減り、心細くなる。日が照れば暑い。風が吹けば寒い。携帯の電波も1本しか入っていない。果たしてケーブル線の下山最終便に間に合うのか。

 

途中いくつか眺望のよいポイントがいくつかあり、そこで休憩がてら写真を撮ろうかとも思ったが、「撮影して何になる、どうせうまくとれないくせに」という抑鬱っぽい悲観が先行した。どうせいまのわれわれには市原のごみ処理施設しか見えていない。死んだらあそこで焼かれるのか。大文字焼きとは。

 

ケーブル比叡に到着した。思った以上に何もないようで絶望しかけたが、一応自販機があった。ポカリを買って、早々に飲み干し、先に進む。

 

いける、いけるぞ。

 

ロープウェイの比叡山頂駅までは多少の坂があったものの、もはやわれわれの壁ではない。そこから先は寺に至るまでほとんど平坦か下る道だった。なんと爽快。やはり山登りはいい。ぼくは50円を鐘をひとつき思い切り鳴らし、勝利を知らしめた。