長らく懸案であった教習所の申し込みを今日ようやくすませた。うまくやれば一応裸眼でも免許が取れる程度の視力だったようだ。なるべく裸眼で資格を取っておいて、実際上は矯正して運転したい。種別はマニュアル。

 

1週間ほど前から『カラマーゾフの兄弟』を読み始めている。上中下とあって、それぞれが500ページ超という一息に読み終えることのできない文章量で、せいて読むということがない。さらに重要なことには、物語の質として重層的で非直線的である(ぼくにはこの小説の扱わんとしていることを一望に収めることができない)。そのために、自転車に乗ったり歩いたりして本から目を離しているときにも物語に刺激を受けて、あれこれ考えを巡らしたりしている。きっと、そういう営みの蓄積が人間というものに対する洞察力を養い、深い人格を培ってくれるに違いない。

 

もっとも、そのための方法が「重厚な長編小説を読むこと」しかないわけではなく、例えば「人の身の上話や目下の悩みなんかをきかせてもらって、それをうけて自分でもあれこれ考えてみる」といったことの積み重ねでも、(さすがに完全なる代用にはならないだろうけれども)、ある程度まで類似した効果を期待できると思う。むしろ、こちらの方がぼくにとって慣れ親しんだ方法だったりもする。人の話をきいて、それをぼくなりに考察・消化し、状況が許せばそれを当人にフィードバックさせてもらって、妥当かどうかを検証してもらう。そういう風にして人が提供してくれた「ひとつのストーリー」から何がしかの理解・解釈を試みるのが好きなのだ。

 

もしもぼくのことを、その方面で「おもしろい」と言ってくれる人がいるとしたら、それはひとえに「これまでぼくにたくさんのお話をきかせてくれた多くの人たち」がいてくれたおかげである。そう思うと、ますます彼・彼女らに感謝することしかできない。

 

こんな時間に書いているので、日本語が崩壊しているかも知れない。

 

この後卒業ゼミ。もうねる。