ぼくはもともと普段から自意識におぼれているというわけではないのだが、いかんせん、何かを自由に書くとなると、どうしても自分のことを書かずにはいられないように思う。いや、自分から離れたことを書くことができない。学校の課題として何について書けという指示が下れば、がんばってそれに沿うた形の文章を作ることはできる。けれども、何も言われていないのに、人の目に触れるところで自分以外のことについて熱心に書くことができるのか、はなはだあやしい。

 

国破れて山河ありだとか、智に働けば角が立つだとか、そんなものが書けるのであれば、書きたい。書いて堂々としていられるのならば、そうしていたい。「これはごく個人的なことだから」という言い訳が立つ範囲をはみ出て何かを書けないでいる自分がもどかしい。省みればぼくがものを書こうと思えるのも大抵夜中の前頭葉のはたらきが弱まりそうな時間帯ばかりだ。それが証拠に、酒が入っていると、なお筆は進む。

 

ああ、また全消ししようとしている。ここまで書いて、こんなしょうもない、やめたらこの文章、という気持ちがわき上がってきた。そうやって無に帰した時間が先月だけでもどれほどあったことか。

 

YouTubeの「わが民族同士」も消えてしまってからは、その空白を埋めるようにして淫夢やらクッキー☆シリーズやらゲーム実況やら、そのあたりの動画を視聴する癖がついてしまった。それはそれで一興ではある。ニコニコ特有の珍技術妙編集は、おもしろフラッシュ倉庫文化に通底する雰囲気を感じ、何となくほっとする。ほっとするけれども、やっぱり主体思想の代わりにはならないのだ……。

 

すっかりまとまらない文章になってしまった。また明日も教習がある。本当に運転できるようになるのか不安だ。