このところ、信頼を置くとか自分をゆだねるとか、そのような標語がしばしば脳の中心部を占めていた。自分はまだうちにひきこもっている、人を信頼できていない、自分のからを破れていない、どうにかしないといけない、と。ところが、この信頼とか委ねるという煮詰まった重苦しい言葉をわざわざ好んで用いていることが事態を無用にややこしくしている要因になっているような気がしている。おそらく、この問題はもっと平易な言い回しで「上下関係において壁を作ってしまう」と表現すべきだ。実際に先生や先輩と接する現場で起こっていることを振り返ってみても、信頼という言葉は役不足の感がある。信頼というと個人的における理由やおけない理由があったりするものだが、現場でぼくが押し黙ってしまうのは、そのような複雑な事情を比較検討した結果としての一大決心などではなく、単にもう一歩が踏み切れず引っ込んでしまっているという現象があるに過ぎない。引っ込んでしまうのに理由はなくて、ただもう傾向から、癖から、不慣れからそうなってしまっているだけである。

 

上下関係はなるほど面倒かもわからないが、周りを見渡すと大抵みんな気楽にやっているのだから、自分もそうしてはいけないきまりはなかろう。となればその部分で神経質になりすぎず、リラックスして関われるように意識していけばそれでよいのではないかと、今日のところはなぜかしらたいそう楽観的な心持ちでいるわけであります。