昼に短時間バイトをこなしてから、発表の準備をしたり、その合間休憩にNK-POPを歌ったりしていた。ブログを更新しようとも思ったが、書けないまま画面の前で自分がフリーズするというおなじみのパターンを繰り返していた。書きたいことがないわけではないが、どう書き始めるかがわからない。友達と居酒屋へ行ってから1時間ほど経過したほろよいの定着期に、胸の内からぽろりと出てくる言葉、あれを再現できたらうれしい。積もり積もる話はあるんだから、それを書いてすっきりさせようというもくろみだが、やはり素面のまま「公然と酔っ払う」のは難しいようである。何を今更、普段からわけのわからん陶酔したような文章を散らかしているではないかという意見もあろうが、それはもっともであると恥じ入りながら認める。一旦恥を恥と認識してしまえばこわいものはない。自分の土俵である。もちろん何か思うところにはきっかけがあるのだが、パブリックなネットで具体的な話からはじめるのをはばかって、結局漠然とした論旨不明の雑文ができあがるという仕組みになっている(誰が、とか、どうして、とか、何があって、とか、途中の肉をすべて抜き去って「はあ、好き」という骨だけが残る)。ネット弁士になるのであれ、炎上芸人になるのであれ、堅実アフィリエイターになるのであれ、ポエマーになるのであれ、ブログをやるのならあくまで図太さが必要とみえる。ぼくの場合は日常づかいに運用している図太さでは十分でなく、ちょっとブーストをかけてやらなければならない。例えばアルコールとか眠気(とか頭を曖昧にする薬とか)の力を拝借して、どうせ見ている人なんていない、えいやと一世一代の思い切りをつけることではじめてスタートラインに立てるかどうかという案配である。しかしまあこれも自分。身長が170cmに満たないのも自分(こんなことを書くのですらちょっとした勇気がいる!)。頭がおかしいのも自分。一人称視点の近視眼に凝り固まらずに、半歩下がって後頭部の後ろからゆったり見下ろして、まあそういうこともあるわな、生きてたらな、と受け止める。この受け止めるというのがほとんど唯一とりあえず扱える道具である。