店員にタメ口をきくのは是か非かという問題は近頃ぼくの観測範囲に入ってこないようだけれどもどう解決したのか、していないのか、わからない。正直に申すとこの論争にさほど興味をかき立てられるどころか、両陣営ともと縁のあるところで生活をしているために両者の利害衝突は自分の死活問題に発展しないとも限らない。個別の状況に応じては口を差し挟むこともあるが、一般論については沈黙する。それではデモクラシーに反するから強いても発言せよとおっしゃるならば、是でも非でも場合分けでもご随意にしていただくのが最善とのみ申す。どうせタメ口をきく予定はない。ゆえあって臨機応変作戦変更となればそれだけのこと。歯切れの悪い八方美人であるようだが、関係先に愛想を配って回って今後ともごひいきにくらいはさらりと言ってのけるくらいは社会生活で必要になる。万物流転する世の中である。かつて名うての企業ときこえしかども倒産する、そうでなくとも各種各様ハラスメントの横行が露見する、不正が天下の知るところとなる。栄枯盛衰、一寸先は闇、童貞はあと3年もすれば尊敬の対象になり、喪女はことごとくアラブの石油王と出会うだろう。まあそんな極端を持ち出すまでもなく、敬語が適当であり、タメ口は親しくなってこそというのは理解できる。と同時並行でタメ口が親愛を表示し、敬語が慇懃無礼をはたらくというのも無理はない。礼をとるか情をとるか。都会か田舎か。2ちゃんねる爆サイか。住めば都、自分の居住地以外は尽く闇。両者の間を往還するぼくは根無し草、変節漢、修正主義者、反革命分子の動揺階層である。闇といえば少し前に何でもかんでも闇、闇と称してはやし立てるのが流行ったがいまは落ち着いたようだ。闇とはすなわち知識の埒外のことだから、滑稽を添加して新情報をこなしやすくするのに用いたとしても、無「闇」やたらに使うのはちょっと都合がつかなかろうと思う。

 

自由主義だと言って各人勝手気ままな方角へ理論武装に邁進した結果、党派ができ、各党は互いの領地へミサイルを撃ち込んでいて物騒だ。物騒だからといってどこへも属せねばすなわち孤軍である。なるほど砲火を浴びて蜂の巣にされる心配はないが、いかんせんうらさみしい。国際社会で孤立しているという北朝鮮とも国↑交↓を持つ国はごまんとある。かといって大戦に巻き込まれるのも恐ろしい。人は群れる。位数のでかすぎる群は厄介だ。やむをえず交流を求めて歩き出す。自分にもじゃれ合いのすもうくらいはとりたいという欲求はある。ところが、おい、ちょっとプロレスやろうぜ、と言ったら世の中にはメリケンサックやモーニングスターを標準装備して殴りかかってくる手合いがいる。自分の繰り出した拳がはからずも相手の局部に的中し、さほど気にせず前へ出した土足がいつの間にか相手の不可侵領域に足跡をつけていたりする。それでも人間は丈夫なもので少しのことでは死ぬ気遣いはないから安心したまえといわれても、そうかでは遠慮なくと嚥下して胃に収納するわけにはいかないような思いをしてしまっているから、よっぽど信頼を醸成して十分の成功体験をもって昔の借りを返さないといけない。なに、道は開ける、人を動かす。先ほどの無「闇」のカギ括弧をつけないでも平気でいられるくらいに人とうまくやっていけるようになれるやろ。

 

喧噪の方に人はいるが、もれなく戦争をやっているから静かな方へ探しにいく。確かにおとなしいコミュニティもある。しかしそこへ入ろうとすると、今度は自分の方が喧噪を持ち込んだ厄介者になってしまう。位数の少ない群が閉鎖的というわけではない、ただ既存のリズムに変化がでることで、調和にさざ波が立つことで、先刻までの位数と互いに素であることで、コミュニティ全体へしばらくストレスを与えてしまう。その一時的なストレスの後にはまた新しいリズムと調和が生まれるのであろうが、その集団ストレスに耐えきるまでに神経が息切れする。事前に十分深呼吸をして覚悟を決めてよっしゃと飛び込んでやっと何とかなるかならないかというくらいの大事業だから、パリピのごとくあっち向いてウェイのテンポでひょいひょいとはついてはいかれない。それに娯楽のために金を払って下りてきたダンスフロアにおいていかなる動作をすべきか始終悶悶と悩み通すのはごめんだ。以前それでダンスを練習しようかとも思い立ったが、どのみちひとりでは到底行けそうにないし、かといって誘うべき友人ももっていないので、これは自分に向いた遊びではない、そういう星回りに誕生した存在なのかも知れないとほとんど諦めている。かく述べるとひたすら自己を卑下するようではあるが、これをもって絶対不変の真理と自任しているわけではない。自分に変容の余地と時間と金と体力と精神力があれば、いつでもいかようにも変じてみせるというつもりはある。ダンスフロアで顔に似合わぬキリッキリの踊りを披露できる日がきたら、そのときは是非友人読者各位のお目にかけたい。男と女が股間と尻とを、すりこぎとすり鉢のごとくゴリゴリとやりながらロデオを表現する、あの技術を体得した暁には、「実はぼくも・わたしもやりたかってん」という紳士淑女のみなさまにその極意をよろこんで伝授してしんぜよう。