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勉強をする理由ではなく勉強で感じられる意味を――学歴社会と学歴文化をうまく生き抜くために――

 

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ta-nishi.hatenablog.com

 

問題とするところが「学歴社会そのもの」なのか、「学歴社会を内在化させた結果苦しむ個人」なのかはきちんと分けて考えといて~*1、というのはとりあえず突っ込ませていただくとして。

 

学歴文化、あるいは学歴至上主義・思想とでも呼ぶべきものをまとった家庭って都会・田舎問わず案外多いんですよね。個人的には『自意識高い系男子』のたにしさんの考え方がとても好きです。それな!! そして学歴文化なんかはどうも煙たく感じてしまって「そんな価値観、窮屈とちゃうか」とつい口にしそうになってしまうのですが、そう言ってしまうと学歴文化で育ってきた人たちに刺さってしまう。とくに家族で共有してきた哲学や、昔から堅持してきた信条に、よそから横やりが入ると、誰だってムッとしたり傷ついたりしますしね。

 

ただ、エントリを拝見する限り、ガイさん自身もきっと学歴文化に対して一筋縄ではいかない感情をお持ちなのではないかと思わずにはいられない。就活を有利に進めること、ひいては家庭を持ち、幸せな日々をブログに綴ることを許してくれた学歴。そんなすばらしい武器を持つよう促してくれた学歴文化を大切に次世代にも受け継ぎたいとお考えの一方で、手にした学歴と自身の能力との乖離や他大学へのコンプレックスも同時に感じていらっしゃるようですね。ガイさんはそんな悩みを抱えながらも、折り合いをつけながらうまく着地されたようですが、ガイさんと同じ悩みにつぶされ、ついに癒えることのない傷を負ったり、屈折してしまった人たちの存在を忘れてはいけないのではないかと思うのです。

   

学歴社会というシステムが日本の雇用や昇進を支配しているならば、学歴は就職・昇進において確かに武器になる。でも親が子どもに学歴を身につけさせるために、学歴至上主義のような思想まで身につけさせる必要はないのではないでしょうか。「将来のために勉強しろ」が子どもに通用するかどうかがそもそもギャンブルですし、それに従ったとして学歴文化の苦しい呪縛があるかもしれない。小中で将来を見越して勉強してこなかった人が信じられないご様子ですが、私としては小中で学歴社会を理解し、その攻略に備えてきたという人の方が珍しいように感じてしまいます。*2

 

そうではなく、私には勉強に意味を感じられるような工夫・環境作りをするのがより健全であるように思えます。それにはまず親自身が勉強の"意味"("目的"や"理由"ではない)を理解し、さらにコストをかけるなどの努力が必要になるので、簡単とは言えませんし、そうできるのは一部の恵まれた家庭だけだ*3と言われてしまうとそれまでですが。ただガイさんに限って言えば、事情はどうあれ大学院まで進まれているので、勉強することの意味を一切感じずにきたということはないでしょうし、年収も十分にあるとのことなので、特別に学歴社会を強調せずとも、きっとお子さんに study can be fun and worth doing ということを伝えることはできると思います。

 

 

私事になってしまいますが、父はよく読書したり、勉強したりしていました。母は父のことを勉強家で人格者だと言って尊敬していました。私が出会ってきた学校や塾の先生たちの多くは、勉強する"目的"や"理由"を語らずに、勉強の"やり方"や"コツ"を教えてくれました。私の勉強に対するモチベーションは大抵、「ゲームっぽくておもしろい」「よくわからんけどかっこよさそう」というきわめて子ども的な発想から得ていました。手段としての勉強ではなく、学ぶこと自体が楽しいという"意味"をありありと感じる経験ができたことは幸運だったと思います。

 

私がstudy can be funと思えるようになった背景にある、両親や先生たちが勉強に興味を持てる環境を作ってくれたこと、押しつけがましくない方法で勉強の"意味"("目的"ではなく)を教えてくれたことが少なからず好影響をもたらしてくれたと感じています。そして彼らの真意は推し量ることしかできませんが、もしかすると「学歴社会」な現代のありようを念頭において、私たちが首尾よく機嫌よくその益を享受できるように慎重に取りはからってくれていたのかも知れませんし、あるいは少しくらいは「学歴社会」を意識していたかも知れないけれども、むしろ単に学ぶことや考えることが好きで、その楽しさを共有したかっただけのことかも知れません。

 

興味や好奇心に限らず、一般に人の心に関してはどうしてもコントロールの難しいパラメータなので、親が苦労したところで勉強の楽しみを見つけさせることができないということは当然ありうる。また、学歴至上主義の呪縛とセットで学歴の切符を手にする方が幸せか、あるいは主義からも切符からも縁遠い方が幸せかという問いさえも結局はその人がどのような価値体系を採用するかで答えが変わる。しかし、うまくやればもしかすると呪われていない切符を手にすることができるかも知れないし、自分が手に入れたときにはついていた呪いを解いて、次の世代にはクリーンな切符を手渡すことができるかも知れない。

 

途中、ガイさんのプライベートな領域にまで立ち入ってしまいました。もしoffensiveととらえられたなら申し訳ありません。そして、さまざまな葛藤や苦労を抱えながらも社会人として(さらにガイさんは子の親として)立派にたたかっていらっしゃるガイさんとたにしさんに人生の後輩より敬意を表します。

 

もしかすると、私自身がこれから社会に出て学歴文化の呪縛にさらされることになるかも知れません。ひょっとすると、こんな世間知らずな戯言を開陳し、黒歴史を残した自分を恨むことになるかも。とりあえず、幸運にも意味を感じながら勉強する経験を許された子どもとして、その感覚の残っているいまのうちに足跡を残しておくことにします。

 

 

めっっっっちゃ青二才らしいナイーブな文章になった。気恥ずかしいけど、なんかすっきりした。やっぱこういう物事の意味や味わいについて語るの好きなんやな。

*1:さらにいうと学歴文化(とでも呼ぶべきもの)と学歴社会も分けたい。つまり主義・思想に重きを置くのか、就職・昇進等のシステムに重きを置くのか

*2:これは私が田舎の公立校出身だからなのかも知れませんが、私が覚えている限りでははじめにみんなで学歴を意識しだしたのが中3の高校受験生になったときでした。それも大学受験なんてほとんど眼中になく、とりあえず次の学校に進むために勉強をしながら「いやな世の中やなあ」「どうせみんな行くんやから受験なんていらんのになあ」と時々愚痴をこぼすくらいのものでした

*3:文化資本の豊かな家庭という言い方がなされる