大学の同期が亡くなった

社会人になって早くも 5 年目を迎えた。

先週、ひとつ目の大学の同期 (S とする) と久しぶりに会話した。
いつになく日本語で話し始めるから何事かと思ったら、とある同期 I が亡くなったという。

自殺だったらしい。

それもつい先日……というわけではなく、すでに 2 年が過ぎようとしていると。
そうして S とともに I を偲んだ話をしてからというもの、毎日 1 回は図らずも思いを寄せている自分に気づくようになった。

 

入学当時、ぼくは同期たちと 5 人のグループで仲良くなった。
I はもともとそのうちのひとりだったが、半年ほどでグループ内で色恋のもめ事があって、それに巻き込まれる形でわれわれは彼と疎遠になった。
よくある「自分が先に好きだったのに」という類のもので、彼は被害者だった。
もっとも、あからさまな横恋慕というわけではなくて、単に出し抜かれたようなものだったはずなので、被害加害というのは表現として適切ではない。
最後は、みんなで遊びの計画をしていたときに「俺多分その日風邪引くわ」と I が断って、そのままグループからフェードアウトしたように記憶している。

 

どうして 2 年も経ったいまになって知ったのか。
そもそも大学の関係者で彼の死をはじめに知ったのが、すでに I が自ら命を絶って半年が過ぎてからのことだった。
きっかけは I の当時の部活動の仲間だった。
彼らは、偶然 I の実家 (実家住まいだったことは風の噂で聞いていたらしい) の近くを通りかかったついでに久しぶりにと立ち寄ってみたのだが、留守で誰とも会えずじまいだった。
そこで I 宛に郵便受けに挨拶代わりの手紙を書き残したところ、後日家族から連絡があって、彼が亡くなった事実を知らされたという。
そして部員伝いにゆっくりと話が伝わり、同じ部活をしていたグループの友人の知るところとなった。
ただし S とぼくは上京して彼らとは地理的に離れていたため、彼らからあえて Line をしてまで伝えようとはしなかったらしい。
グループのひとりが 3 月下旬に出張で近くまできた折りに S に打ち明け、そうしてぼくにも話が伝わってきたという経緯だ。

 

I の特徴といって思いつくのは、とても顔立ちが整っていたこと。
アイドルかジャニーズといわれても何の違和感もないくらい、グループの中でダントツでシュッとしていた。
誰かが冗談七割嫉妬三割で「それだけ顔がよくて彼女ができないと嘆くのはただの怠慢」といっていた。
それに対して I が「顔いいくせにいわれるのいちばん腹立つねん」と割と本気で憤慨していたような気がする。
いずれにせよ、いま思い返してみると器用とはいいがたいタイプだった。

 

それから、大学の必須科目でレポートが書けないといって困っていたのを、ぼくと S が助けたこともあった。
それは通期で評価され、もし前期で不合格になると、後期分の単位も自動的に落としてしまうという、リスクの大きい科目だった。
彼が「自分にはレポートなんて無理や」と諦めようとしていたのを「みんなで手をつないで卒業しようや」といって、彼のレポートを……いや、サンプルを S とふたりで書きあげた。
面白いのは、I のレポートが最高評価の 'A' を、ぼくと S  のレポートがひとつ下の 'A-' をそれぞれとったこと。
I のレポートについては、それはもうべた褒めされていたそうで「このまま論文にしてもいいレベル」だとかなんとか。
彼は結局その後 3 留して卒業したらしい。

 

卒業後はコンビニでアルバイトをしながら生活していたという。

 

S は、途中で大学をかわったぼくよりも、もう少しだけ I との接点があった。
特に、彼が自殺に踏み切る少し前にも、ふとしたきっかけで電話をしていた。
そのときは I が英語を勉強していることを聞いて「すごいやん」「お互いがんばろう」と励まし合って終わった。
もしかしたらそこで彼を救うような道があったかもしれないこと、そしてこの世を去らんとする衝動を押しとどめるほどの重みが、われわれにはなかったことが残念でならない、と S はいう。
その思いはよくわかる。
ぼくは、I がどんな思いで、何を理由にこの世を去ったのかはわからないけど、もし、長い間耐えがたい苦痛と絶望にさいなまれていたのだとしたら、そこから解放された彼はやっと救いを得ることができたのだとも思う。

 

なんだかんだいって、われわれはろくに思い出を積み重ねないうちに一度「切られた」側だし、ぼくはその後別の大学に入り直したこともあって、なおさら I は遠く淡い記憶でしかない。
今回の話がなければ、きっと上で書いたようなことを思い出すようなことはなかっただろう。

 

いずれ 4 人で線香を上げに行きたいと思う。