インターネッツ・ポエマー

それは誰のせいか それは誰の手柄か

実際、自分の人生の成功や失敗はどれくらいまで自分自身の責任であるのだろうか。どこまでを自由の因果として引き受けるべきで、どこから手放してよいものか。 例えば、意識の間隙を巧妙にすり抜けてわたしをいましめているように見える呪縛(dead dogmata)、…

「正しい人」との再会

レ・ミゼラブルを読みかえしている。まだはじまって50ページにも到達しないが、早速熱いものがこみ上げ、こらえきれなくなった。ミリエル司教のところでなみだがぽろぽろとこぼれた。どうもこれまでの人生で苦痛のうちに手放してそのまま投げやりになってしま…

「女性を愛する」ってなんなんだ

人を愛するということがどういうことなのか、少しは自分なりに理解しているつもりだ。いや、ぼくのような若輩者に「愛」という深遠なテーマをすっかり理解することはできるわけがないはずで、またすっかり理解したのでなければ、それはまったく理解していな…

善の方へむかって歩み続けなければならない

やはりぼくが生きていくためには、いまはやりの、「無理せず現在あるいは未来において生きやすいように生きればいいのだよ」、という指針では不十分だ。一見時代遅れであるようだが、ぼくには「善」という概念が必要だ。 ぼくの父の人生は、「常に善なる方向…