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読書妄想文――「日蝕」(平野啓一郎)を読んで (前編)

まとめ 日記 ブログ

PC漬け生活と訣別してから18日ほどになる。この「IT機器の使用を一定期間断絶する」行為を称して「デジタルデトックス」ということを最近になって知った。

 

デジタルデトックスの副産物である12時間の空白の一部を、文芸によって埋めてみようという試みとして、つい数日前、新たに小説本を1冊買って読んだ。

 

 

これには「日蝕」と「一月物語」(いちげつものがたり)2作品が収録されている。このうち「日蝕」は京大法学部卒のフレンズが在学中に執筆、上梓し、芥川賞の受賞対象となったデビュー作である(すごーい!)。実はまだ「一月物語」を読んでいないのだが、その理由は後述。

 

スポイラーにならぬよう大雑把に1文で紹介するならば、「中世のフランスにおいて使命感と探究心と幾許かの野望に突き動かされる形で旅に出た新米神学者が、異端哲学を氷山の一角とする『非キリスト的』な世界と対峙した体験を綴った回想録」といったところだろうか。

 

これを選ぶに至ったのは「バーでバイトし、軽音サークルでギターを弾くような"イケてるあんちゃん"が勉学の傍ら書き上げた作品で、こうも大きな賞を取るようなものとは一体如何ようのものか、ひとつ確かめてやろう」という尊大な好奇心と「自分のブログライフのヒントに、うまくいけば、彼の受賞作に及ばずとも遠からぬ、学生ならではの文章を生み出せはしないか」という漠然たる期待とをもってのことだった。

 

立ち読みに、まず、本の中ほどを開いて圧倒された。

なんやこのムチャクチャ硬い文体は!

中島敦の「山月記」を髣髴する硬派な漢文調である*1。およそこれまでの生涯に見覚えのない漢字や読みの並びが200ページ余りに渡ってズラズラズラと続いている。たまたま以前中国語をかじった経験があったおかげで辛うじて知っていたという熟語も珍しくはない。

 

衝撃の第一波をやっとのみくだして頭から読み進めると、20ページに達する頃には、扱われているテーマに対する著者の造詣の深さが顕になる。上に中世のフランスが舞台であることを述べたが、当時の世相の叙述が、国家や教団の動きといった"正史的"なものから、(現代から顧みれば)愚昧な村民や地方の堕落した司祭の生活のような"民俗学的"なものまで、物語の進行上必要十分なだけ、緻密かつ有機的になされている*2。実際、彼がこの作品を生み出すにあたって費やした期間は、資料収集に半年、執筆に半年だという。世の小説家たちが、こと資料収集に際して、いかほどの労力と時間とを用いるのかは寡聞にして知らないが、半年=大学の半期+長期休暇もの間合間を縫って作品のための勉強を重ねていたとするならば、それはもう大変な物知りをなすことだろう*3。フィクションにリアリティを求めるために彼がした努力は、すでにぼくの知識的要求*4を満たして余りある。

 

また、構成も見事で読者を飽きさせることがない。作者は、主人公の視点から見た(narrative)不安を基調とする漸進的かつ発見的な展開を徹底している。これは、(殊に現代社会とは異なる世界を舞台とする)作者からすれば、定点観測に由来する単調さや閉塞感に抗って筆を進めなければならないということを示唆する。読者の理解や発見を徐々に引き起こす「わかりやすさ」と、彼ら引き込んで離さぬようにするための「おもしろさ」とをふたつながらに演出するのは、いざ実行に移そうとすると存外困難な仕事になるのではないかと想像する。ぼくは、そのようなところに古典的なRPG(ロールプレイングゲーム)とのゆるい共通点を感じ取ったが、どうも「主人公が村人との会話やクエストをこなしていく構図」から「ゲームっぽい」という感想を抱いた批評家もいたようだ*5。また、思いつきで言い添えると、この頃俄に話題となった『けものフレンズ』の見せ方にもある程度の類似が認められよう。

 

(後編に続く)

 

*1:インタビューサイトによると、これは三島由紀夫や森鷗外の影響を強く受けているというが、ぼくは三島由紀夫については1冊も読んだことがなく、森鷗外も教科書に載っていた「舞姫」と、昔に書店で偶々見かけて題名だけで「官能的だ」と決めつけて買った『ヰタ•セクスアリス』( = 性生活)のみであるから、残念ながらここに彼らの作品を語ることはできない

*2:ここにVictor HugoのLes Misérablesが念頭にある。名作として永く読み継がれているが、小説•文学作品として味わう者の中には背景説明が冗長に感じられる箇所もあるのではないだろうか。さりとて、別の立場にはその「冗長」のうちに価値を見出すものもあるのかも知れない。もっとも、自らろくに創作活動をしたことがなければ紐解いた書籍の冊数の高も知れている門外漢の意見である。単に当時のぼく自身が長編を読みこなすだけの素養を具えていなかったことこそ、上のような感想を抱いた主因ではないか、という疑いについては排することができない

*3:そもそも、彼は14歳にして三島由紀夫のファンになり、三島由紀夫が影響を受けたフランス文学に興味を広げていたというので、すでにフランスの国史キリスト教の宗教史などに対する理解の素地はあったものと推察される

*4:はじめからさして高くはないだろうが

*5:個人的には、大昔に落書きだらけのWindows 98でプレイしたフリーゲーム Holy Knights 〜忘れられた手紙〜 を思い出す