TOEICの点数がかえってきた。焼き肉をかけて勝負していたが、ぎりぎり引き分けの点数だった。終了の間際、最後の10問の解答欄(1)の位置に合わせて縦線を太くビーッと引いていたらと悔やまれる。受験前は時間切れになりそうならそうするつもりだったのだが、やはりどこかで「そんなことをするまでもなくこの試験を解ききれるはずだ」という思い込みをすてきれないでいたに違いない。そうでなければ時計の針が終了1分前をさし示しているのをはっきり確認しながら、なおむなしく解答を続けようとしたりはしなかったはずである。

 

後期の成績の話はしないでくださいといった感じ。30分くらいの間会話の随所に「あーーもーー」などのやかましい感嘆詞が差し挟まれることになる。後期(のみならずこれまでの3年間)の過ごし方が学ぶ者としてほめられたものでないことは理解していたつもりだが、やはりそれを2桁(ないし1桁)の数字によって象徴されてしまうと疲れてしまうものがある。こういうことがあるたびに自らの進路について悩み直さずにはいられない。このまま院に進むのか、もっと別の研究科がよいのではないか、しかしいまさらどこへ、いっそ就職でもしたほうがよいのではないか、それならばわりと乗り遅れているのではないか……。

 

無我、無心、虚心坦懐、主客未分、自他の別なし、そういう状態を保って取り組める段階に早く到達したい。

 

心に支えがいる。他に心をあずけられるような支え。いっそ、ぼくは個人ではなく、大きな何かの一部としてそれと分かちがたい形で存在したい。

 

でも、へーきへーき、フレンズによって得意なことちがうから。