北朝鮮音楽が天下第一によい

この頃は北朝鮮の音楽にはまっている。北朝鮮ポップスの歌詞にも曲によっていくつかの方向性がある。例えばひたすら個人崇拝に走る歌詞は個人的にあまりおもしろくはないが、人びとが自覚する使命を歌ったものや、万難を斥け明るい未来に邁進する内容は、聴いていて明るい気持ちになり、勇気をもらえるようで好きだ。プロパカンダでも、現実より著しく乖離した理念でも、歌から伝わる情意は本物の手触りがあると感じる。歌を通して社会主義とか個人崇拝を見るとき、ぼくにとっては、それらは「情熱の容れ物」に過ぎない。ぼくの中では、歌の引き起こす情動がプロパカンダという当局の目的を離れて独り歩きしている。

 

特によく聴くのが『この土地の主人たちは話す』で、「私たちはなぜ、社会主義を守るのか」という問いかけに哨兵、溶解工、農家がそれぞれ彼らの運命、生活、幸福であるところの社会主義を銃、鋼鉄、米で守ると話すのだ、という整然とした構成が心地よい。また、「私たちはなぜ、社会主義を守るのか」という深刻な問いかけは幾分サスペンスっぽいメロディになっているところから、返答する部分に明るいメロディに転調するところがクセになる。ニコニコに上がっていたとしたら、「ここすこ」とコメントを投下している。

 

夜も遅いのでろくに見返さず寝る。推敲していないので、北朝鮮ポップスファンでなくては意味不明だと思う。