正当に評価されたいわけのひとつ

北朝鮮の対外情勢が緊張を増す一方、モランボン楽団がまた新曲を発表したようでNK-POPファンとして世間をはばかりながらよろこんでいる。これまで音楽中心で見てきたが、政治方面の知識もある程度は持っておいたほうがよいような気がしているので、銀行口座の現状を直視しながら機をうかがっていくつか新書でも買ってみようと思う。

 

勉強は相変わらずのろのろとしか進まない。研究者になるわけではないので、それを目指している人たちと同じ目標と気概を持つことを自分に強いることもない……と言い聞かせて、自分の理解と楽しさを大切にしたいという思いをなんとか持とうとしてきた。

 

ところで自分の理解と楽しさとは何なのか。数学をやっていて、自分が何を楽しいと感じているものの正体とは何なのか。「正体」というといかにも過剰に一元的な表現で、あまり自分の肌に合わないので、メカニズム、事情くらいが妥当か。とにかく、自分の心が、脳が、どう動いているのかが気になる。あるいは、英語や語学をやっているとき、ぼくはどう感じているのか……。こういうことがわかれば、自分のとるべき道というのがだんだんと決まってくるのではないかと思う。

 

しかし、自分が物事にたいしてどういう態度を精確に知るのは、やはり難しい仕事であるように感じる。そこで「第三者の正当な評価」というのが強力な手がかりになる。「お前はこういうところあるよな」という断片的な客観情報を蓄積、総合するうちに、自分の適性するものの全貌が見えてくるものではないかと思っている。

 

それが「正当に評価されたい」と思っている背景のひとつである。

 

頭がぼーーーっとしてるので、前回同様。勢いだけで書いて、それで、終わり。