「共依存」を脱いでゆく

きっかけがあって、ある人にぼくがこれまで高校を中退してからどういう道をたどってきたのかを話した。何度もしているはずなのだけれども、いまだに上手にできない。正確には、なぜ中退に至ったかを言葉にするのがなかなか難しい。「ある女の子と付き合っていて、その子が情緒不安定だった"ので"何とか助けてあげようとしてもがきにもがいて、結局ままならず、こちらが先に疲弊してしまった」と、相手の関心のほどをうかがいながらおおざっぱな説明を試みる。試みながら、心の中ではそんな単純な因果関係では正しくとらえられていない流れというものがあると思って、強調の引用符をつけている。もっとも、それで今後の関係性に影響するような致命的な誤解が生まれることはほとんどなく、大抵は「そんなものか」と納得してもらえるので、対外的には問題ない。要するに、ごく私的な興味によってもっとしっくりくる言葉選びをしたいと考えている。

 

過去の出来事はもちろん変えられないが、過去の出来事を表現する言葉は変わりうるし、また変わることに意味があると思っている。それは振り向いて見る風景がいかようにうつっているのか、そしてそれをいかに考えとらえようとしているのかという、いまのわたしのありかたを明らかにする。過去の出来事といまの感覚とをシームレスにつなぐ言葉を探すことで、ぼくは自分自身を理解したい。

 

確かに、「共依存」はかつてぼくの中でよく活躍してくれた用語だった。この用語を知って自分に当てはめてみることで、「あの人とぼくはそういう危険な結びつき方をしやすい傾向のある組み合わせだったのだ」と苦しみの根源を外在化することができ、大いにメンタルヘルスの改善に役立った。しかし、相当に回復してきたいまとなってはかえって「自己の価値を低く見る」とか「相手をコントロールしたがる」などという記述の重力圏内で自分自身を規定する違和感のほうがまさるようになっている。自らすすんで着た「共依存」の病衣がすっかり窮屈になってしまった。

 

共依存」に頼ることなしに自分の人生の手綱を握り直したい。きっとぼくは未熟ながらも考えを最大限にはたらかせて行動していた。年相応の信念と理性とがあった。それが結果的に裏目に出てしまったが、それは直ちに「共依存的性質」を有するがために破滅すべくして破滅したことを意味するわけではない。ぼくはこの経験を不治の病ではなく、教訓として未来に活かすべき、また人間としての奥行きを増すような、そういう失敗として自分のものにしたい。

 

 

scribbling.hatenablog.com

 

友人が断続的に泊まりにきて、ふたりで関数解析をがりごり進めていた。

 

起きたら近所のファミレスでご飯を食べて関数解析、コーヒーを飲んで関数解析、夕飯を食べて関数解析。とても楽しかった。放課後の教室に居残って、みんなで気ままに黒板で問題を解くというのが、数学を通じて共有する、何気ないけれどもめちゃくちゃ楽しい時間だったということを思い出す。小腹が空いたら、学校のすぐ隣にあったローソンでファミチキを買ってきてかぶりついたりもした。このごろやっている院試ゼミもそうだが、こういうのを求めて大学にきたんやと言いたくなるような時間を過ごせている。

 

賛否はあるだろうけれども、ぼくにとって数学はコミュニケーションの口実という側面が強い。人と人との間に1冊の本をおくだけで、その関わりに深みが増す。あるいは数学でなくともかまわない。哲学書でも、小説でも、アニメでもマンガでも同じように人と人とが盛り上がる材料になりうる。とげとげしく「コミュニケーションの口実」と言ったが、穏当に言えば文化と称すべきものであって、ぼくはそれによって社会の一部であることを確認し、またそれを通じて生のよろこびを感じたいのかも知れない。

 

新しい概念を手に入れる楽しさ、問題を解く楽しさ、和衷協同することの楽しさが渾然一体となって、数学の楽しさとして感じられる。

怒濤のゼミラッシュが一段落し、代わりに鼻水ラッシュが到来した。夜中の冷房がちょっとききすぎた。

 

昼頃にのこのこと起き出して、友達と寿司を食べてから、久しぶりの休みにかこつけて肩の力を抜いたお気楽数学をやっていた。はじめてまともに関数解析の本をひらいた。どうも平壌の街並みのような整然とした世界が広がっているときいている。今日はシュワルツの不等式などを確認した。旅行にたとえると、パスポートのための証明写真を撮りに行ったあたりか。楽しさも旅行前のそれに近い。

 

夜はプレバトを見ながらそばを食べて、有限群論ゲームをやって、友達を見送った。ここには山も川もないけれど、ぼくはぼくのなつやすみを生きている。

 

釣りはどこでやってるんやという意見もあります。

 

追記: この間のロケット打ち上げ記念でモランボンが歌っているのを発見した。うれしい。オリジナルからするとだいぶ手の込んだアレンジをしている。

 

牡丹峰楽団 この地の主人たちは語るよ(이 땅의 주인들은 말하네) 日本語歌詞字幕付き - YouTube

ふたりめ

ぼくは高3の初夏に1年下の後輩Sと付き合いはじめた。Sはぼくにとって人生で2人目の彼女だった。

 

Sは明るく清純で素直な人だった。ほっそりしていて、二重まぶたの大きな目で、何かにつけて眉を上げて見開いて反応していた*1。手と唇がすこし乾燥気味だった。手については、小さい頃、繰り返し過度に洗いすぎたせいだという。容姿も精神もかすみ草がよく似合っていた。当時のぼくには不釣り合いだった。

 

病みに病んで、生きる意志をほとんど失っていたぼくにとって、Sはまぶしすぎた。みんなに気を遣われて硬直してしまった人間関係のうちで、積極的に生き生きと接触してくれたのは彼女だけだった。ぼくの話をおもしろいといって傾聴してくれたし、またK自身もいろいろなことを話してくれた。その日学校で習ったこと、部活動が大変なこと、それから彼女の妹がぐれそうで心配していることなどを打ち明けてくれたのをぼんやりと覚えている。

 

Sはまともだった。まともすぎた。ぼくは彼女がぼくを慕ってくれていることに感謝しながらも、頭の片隅で「Sにぼくの経験は伝わるまい」と判断していた。Sが想像力に乏しかったとか、情緒を解さないというわけではない。聡明な人だったし、ぼくの置かれている状況に痛切に同情してくれていた。一生懸命寄り添ってくれていた。しかし、なぜ、いかなる道理でこうなってしまったのかを理解することはできないだろうという点においてぼくは醒めていた。ぼく自身、数年越しにこのブログをわざわざ立ち上げるくらいには消化しきれていなかった(いまでもそうだ)くらいなのだから、同年代の他者に、それも後輩にわかってもらうことなど到底かなうわけがない。第一理解されるべきものでもない。こんな奈落の底の内情など、わざわざのぞき込んで感性をはたらかせててまで知悉すべきことではない。とはいえ、当時まだ生々し過ぎた経験をもてあましていて、彼女が理解者になってほしいという欲求を完全に滅却できていたわけではなかった。

 

彼女に不釣り合いなのは、ぼくの態度だった。彼女の「好き」をきくのは確かにうれしかった。ぼくも嫌いではなかった。できることならもっとちゃんと彼女に向き合いたかった。ただぼくはその日その日をやり過ごすのがやっとだった。意識にはほとんどいつも死がつきまとった。それが明瞭なときは、どこまで生きながらえてどこで死んでしまうのがいちばん都合がよいのかという分析を試みたり、あるいはそれが漠然たるときは、ただぼんやり苦しみに浸っていた。死を意識していない瞬間もあったように思うが、いずれまたすぐに死ぬことを考えてしまっていた。そうしてぼくの中で彼女をひとりの人間としてとらえ切れていないことを自覚して、一方ではそれはしかたのない、自然なことだと言い聞かせながら、やはり他方では自分の苦痛ばかりに目をやるぼく自身の自己中心性に嫌気がさした。

 

その頃、人間の精神状態をレールの上を転がる球になぞらえて自分の状態を理解しようとしていた。すなわち2次元のなめらかなグラフのように山や谷(平衡点)があり、持続的な外的作用や精神力によってその間を行き来する。そしてぼくは抗しがたい一方向の外力によって富士山のごとき大山を数多く登っては下り、登っては下り、いまはある谷の底でうずくまっている。その谷からもう少し進むともうひとつ小高い山があって、その先はおそらくレールが途切れて絶壁になっている。ぼくはこのような問いを持った。もう少しエネルギーがわいてきて、この苦しい谷からの脱出を試みたとき、果たしてぼくはどちらへ向かうのだろうか。一生懸命大きな山をいくつもこえて、またもとの状態へ戻るのか。それとも背後の小さなひと山をこえて、絶壁から身を投げてしまうのか。あるいはもとへ戻る道を試みたとしても、その大きな山をこえきれなければ、反動で勢い余ってついに絶壁から飛び出してしまうのではないか――。

 

結局、半年ほどで別れることになった。詳しくは知らないが、家族からのはたらきかけもあったはずだ*2。一方がこのような精神状態にあってはまともな関係が築けるはずがない。ぼくも彼女も疲れていた。正しいことだったと思う。

 

その後も「最近どうですか?」と時々連絡をくれて、それをきっかけに2度か3度ほど会った。丁寧なことにプレゼントを用意してくれたこともあった。

 

ある日「もう会わないほうがいいと思う」というメッセージに「そうなんかな」と返してからやりとりが途絶えた。それがだいたい4年前のことで、彼女とはそれっきりである。

 

この間父と話したときに、母が「はじめて出会ったのがSちゃんだったら」と口にするときいて、久しぶりに彼女のことを思い出した。確かに彼女が先だったら、高校生らしい付き合いができただろう。その後もいまよりははるかにまともな、まっすぐな人生にはなっていただろう。彼女には、誰をも思いやる余裕のない病人などではなく、誠実な少年が相応しかった。上のごとく、彼女についてほとんど何も語り得ないことをもってそのことを再認識する。

 

これだけ書いてみても2000字ほどの重みはなく、これだけの文字を費やすことに薄ら寒さを覚える。1を一生懸命100に膨らませて書いているようだ。書き始めたことすら悔やまれる。すっかり空洞化してしまった記憶だ。

*1:味気ない言い方をするとBotWのゼルダ姫を黒髪にしてくるりんぱにしたらだいたい方向として正しい

*2:自分ではじめた恋愛(!)を終わらせるのに家族を巻き込まなければならないことほど情けないことはない

試験ゼミをやった。これからはもうなるべくたくさん勉強しようということで、これからますます集まる機会が増える。学友同士共有したるひとつの目標に向かって全力でかけてゆく、まさに絵に描いたような青春。当然成功させるべきではあるし、そうでなくては割と困ったことになるはずなのだが、一方で結束意識に由来する妙な充実感もあって、これがもしやいわゆる「受験は団体戦」の意味なのではないか。当然連帯感に酔って自助努力を怠れば相応の報いを受けるのだが、ぼくにとってはむしろ孤軍奮闘のために士気を落としてしまう方が重大な危機だと認識している。

 

帰りに関数解析の本を買った。以前に薄さに釣られて薄い本を買ってしまっていたが、新たにしっかりとしたものを持たなければならないと思い直したため。

 

バイトがぼくの可処分時間を圧迫している。落ち着いたら新しいはたらき口を探す。それにしても、賃金が支払われているだけましだ。北ではぼくの年齢だと徴兵されて無償で建設事業に従事させられている。

 

一昨日くらいから余計な本を3冊ほど読んだ。どこにそんな時間があるのか。睡眠時間を節約したのだった。いよいよ試験に向けて忙しくなる。生活習慣をただしていかなければならない。

朝から学校に行って、お昼に少し辛いテイクアウェイ用チキンカレーを時計台前の大樹の陰で食べるという模範的キャンパスライフを送った。他にも当たり前のように大樹の陰でランチをとる学生がいたことが軽く衝撃だった。えっ、君ら普段からそんな光り輝ききらりきらめくような生活してるんか。すごいな。多様性の時代や。


善の研究』を読み終わってしまった。ページ数から見てまだ2/5くらいあるかなと思ったらほとんど注解・解説ページだった。あっけない。本当はこういう隅々まで読んでこそ「読んだ」と宣言すべきだろうが、しんどいので省略。

 

カスピ海ヨーグルトを1日1個くらいのペースで食べている。とろとろしておいしい。バンバン食べられるのに、おなかにたまるような満足感もある。今日は蜂蜜で味付けしたが、やっぱりジャムで多少酸味をきかせたほうが好み。

北朝鮮グルメに興味がわく

この後に午前起床を要する用事があるので、さっと書いて寝る。

 

今日は終日家を出なかった。それ自体は特別なことではなく、休みの日は大抵家にいる。家にいても生活できてしまう。家を出ないとやる気も出ない。しまりがない。勉強しながら北朝鮮の旅行記を読みあさっていた。勉強が本位に来ていないところが要点である。ぼくの意識中心は平壌にあった。見上げると、その空は将軍様の紅き飛行隊が守っており、人民の澄んだ目は飛行隊を信じ見守っていた。


NK-POPばかり聴いていると、自然、共和国*1に対する危うい愛着がわいてくることを自覚しているので、それを中和すべく、ときどきデイリーNKの記事をチェックしたり、北朝鮮ドキュメンタリーなどを視聴するよう心がけている。ネットの情報だけでは限界があるので、書籍もいくつか購入して読もうと考えている。結果として北朝鮮情勢に詳しくなれそうなので悪いことではない。息抜きとしてはやや大げさかも知れないが、気分転換にはなる。


ところで共和国の魅力には音楽のほかにグルメという側面もあることに気がつき、朝鮮料理を味わうことがぼくのバケツリストに追加された。例えば、大同江麦酒。故金正日総書記が現地指導したという肝煎りの生産工場で、品質はなんと南朝鮮のそれを軽くしのいでおり、日本人が飲んでも普通に楽しめるレベルだという。

 

大同江ビール - Wikipedia

 

外国人絶賛、北朝鮮で大人気の地ビールとは | 韓国・北朝鮮 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準



北朝鮮の現地グルメ紀行については、次のブログが大変充実している。実際、ぼくはここを見てから(北)朝鮮料理に興味を持った。拝見する限り、管理人さん自身が相当の朝鮮料理の食通であるようで興味深い*2

 

北朝鮮報告(1)~平壌、開城、元山、咸興の各地域を食べ歩いてきました。 - 韓食生活

 

早く寝るつもりが、すっかり遅くなってしまった。

*1: =北朝鮮。好意的な文脈ではなるべくこちらの名称を用いたい

*2:ただ、ブログの趣旨そのものは、タイトルが「韓食生活」とあるように韓国料理を主に取り上げているようなので、北朝鮮現地グルメについては記事数が少ない